まさかのバレンタインネタ!
「かぁーめちゃん」
えらくテンションの低い声がせまい室内を満たす。
値の張った防音壁はそれをどこにも逃がさないから、ただ反響して、おれの耳に百パーセントの濃度で届く。
この声がとても好きだ。
少し眠そうで、他の大人より、かなりゆったりしたこの雰囲気も、実はとても。
「はーぁい」
返す声音が、平静を懸命に装っていることくらい、きっと看破されているのだろう。
本当は。とても。
とても嬉しすぎて、今すぐにも飛びつきたい気持ちなのを、見栄とか意地とかで押しとどめていることも。
とても愛おしくて、もっと呼んでよ、そんで録音ぐらいしてもいい?って言いたくなるのを、理性とか虚勢とかで押し殺していることも。
とてもとても勘のいい男だから、そんなことはお見通しだろう、
分かっているけれど。
でも今日、この日に、ぶりぶりに可愛く見せるっていうのは、
男として、ちょっとそれはないかなと。
2.14
「バレンタインのこの良き日、課長たるわたくしに、いったい何のご用ですか」
歌の文句でも刻むようにして、目の前の相手は、優雅におれへ尋ねる。
分かっているくせに、と詰ってやりたい気分だ。
この部屋に充満するあまったるい匂いがなんなのか、アホでもサルでも分かるってもんだろう。
おれより鼻が利くこの男は、しかし知らん振りで、控えめな笑顔を崩さない。
玄関先でこの問答、いい年した男が二人、いい加減いろんな意味で寒すぎる。
「いらないんなら、いーですけど」
「チョコ?もらうもらう」
「ほらわかってたんじゃん!」
「…それだけじゃないだろーって、あれ、読みが外れた?」
相変わらずのローテンション、そしてマイペース。
ようやくいかつめの革靴(あんまり似合わないと個人的には思っている)を脱ぎ捨て、
おれの用意した、女子力高めなリラックマのスリッパに衒いもなく足をつっこむ。
「…それ嫌がらせだったのに」
「あっそ?おれけっこう、くま好き」
すたすたとリビングまで歩み来て、さりげなくおれの腰に手を当てる。
それもいかにもナチュラルに、あれこの人、こんなことする人だっけ?
「なに。意外?今日この日に部屋に呼ばれたらそりゃ、これくらいはするよ」
「えええ」
腰を抱かれたまま、おれごとソファに倒れこみ、おれは彼の上に乗りかかる姿勢になる。
真っ白になった頭では、なにを言い返すことも跳ね起きることもままならず、
されるがままという屈辱だ。
「かーめちゃん、チョコの匂いする」
「つ、作ったから。けっこ失敗したけど」
「いいよ。それでいい。ちょーだい」
「え、あ、じゃ、は、離し、」
プレゼンでもあるまいに、舌ももつれる。
職場の誰それが見たら、噛むなとか聞き取りやすくとかお叱りを受けそうだが、
あいにく今この空間には、おれと、おれの下にいる彼と、あまったるい匂いとリラックマ、それだけしかない。
「まずは、味見でいーよ」
「?、は、」
なにそれ、と返す間に、がぶ、と口をかじられる。
すかさず舌が入ってきて、お恥ずかしながらおれはすぐに、チョコよりもぐずぐずに溶けた。
味見ってこういうことか、気障すぎ、と呆れる冷静なほうの脳みそと、
やばい気持ちいい好き大好き声が聞きたい愛おしい、と突っ走る煩悩のほうの脳みそでは、
後者の方が百倍くらい強いので困る。
とうとう気持ちよさと愛しさがボーダーライン超えて、虚勢だの見栄だのを放り投げてしまう。
「うあああ、きもちい、どうしよ、おれ赤西さん、だいすき!」
「素直でおばかな子は、おれも大好き」
腹の立つことを言われた気もするが、キスと抱っこだけではじけそうなおれには、大好き、の部分しか届かない。
赤西さんが、大好きって言った、チョコもほしいって、ちゅーしてくれてるし、しあわせ、
そんな気持ちで、今すぐにでも歌いだしたい気分だ。
ところが相手は相変わらずのテンションで、相変わらず少し眠そうである、
「ねぇ、キッチンのチョコはすこぉし我慢するから、
ここで先に食べたいもの食べちゃってもいい?」
「わー…えろおやじだ」
「うるせー」
そのくせ中身はかなりの肉食系、ちくしょうたまらない。
脱げたクマのスリッパが視界に入り、自分の部屋だというのに恥ずかしくてたまらない。
「…とりあえず、電気だけ消してもいい?」
肩で息するおれの、かわいい提案も、
「ん、…それも、あとでね」
心地よいと錯覚する低音が、やんわり否定し、
おれはチョコの前菜として、とんでもない辱めを受けることになった。
気分を出すためだけに、エプロンなど用意した。
鏡に映ったもこみち風の自分を見て、料理ができるような錯覚、
結果湯せんすら失敗するという体たらくだったが。
まあいずれにせよ、今日の日のチョコ製作のため、ひいては彼のために購入したといっても過言ではないわけだ、
この黒のオーソドックスなエプロンは。
それを、よりにもよって、話してしまった。
よりにもよって、目の前の相手に、だ。
かぶりつきのキスで頭も口も緩んでいたのだろうと思う。
気だるそうな雰囲気とは反対に、いつもの三倍速くらいの歩調でキッチンまで歩み寄り、
さっさとお目当てのものを引っ掴んでソファまで戻ってくるのが赤西仁という男だ。
「着て」
「言うと思った」
「おれのために買ったんでしょ、着てよ」
「…それも言うと思った」
まったくもって不服でございます、と頬やら額やらに貼り付けて、ため息を吐く。
でもまあ一応は聖バレンタインであるし、雰囲気も互いの下半身も結構盛り上がっちゃってるしで、
着せつけられるがままになっている。
「はーい、ばんざいしてー」
「服の上から着るの」
「わー、かめちゃんえろいー、裸エプロンとかしてくれるつもりだったの」
「おっさんうるせー」
着せ付けられる合間にも、キスとキスとキスとで、うるせーと返すのが精いっぱい。
はいできた、と言われて、あ、はいと返事する間もなく、相手はもう臨戦態勢だ。
「なになになに、赤西さん目ぇこわいー」
「ねーかめちゃん、赤西さんさ、ちょびーっとだけがっつくから、こわがんないでね」
「え」
テノールが心地よく耳をくすぐる、それにうっとりしていると、いたずらな指先が性急にことを仕掛ける。
まずはソファに体よく押し倒され、
耳、唇、口腔、から始まって、首筋、エプロンの下のトレーナーを捲し上げてアンダーシャツをゆっくりねっとり歯で持ち上げる。
「ぅあ、ばか、えろい…!」
「おっさんだかんねー」
あらわになった胸にもへそにも指と舌が這いずって、もうやだ、と思うのに、
あ、とかう、とか母音くらいしかでてこない、おれの声帯はいったいどうなったのか。
エプロンに濃厚に染みついたチョコレートのあまったるい匂いだとか、消灯を許されなかった明るみだとか、
もう羞恥をあおってあおって仕方ないわけだ。
おれの脳みそは二度目の許容量オーバーにより、やっぱりまた本音しか吐き出さない、
「あ、ぅう、だいすき!」
「ありがとうねー」
長い指は引き続き、ボトムズを引きおろし、下着の上からやわやわとそこを撫でる。
裸足の指が緊張に縮こまる、するとそれに気づかれ、そんなところを口に含まれて、発狂寸前。
思わず蹴り上げそうになり、相手が苦笑する。
「な…にしてんすか!!」
「別に、たいしたことしてないしー」
悪びれなく笑われ、また股座に視線が戻る。さわって、さわって、さわられる。
下着がもうぐしょぐしょになって、それがおれから出たものによるという事実にもう死にたい。
息も絶え絶え、それなのにこちらから言わない限り、そこから先には進んでくれないわけだ。
「今日も、言わなきゃ、だめなの」
「このまんまこのパンツ水没させてもいーなら、いわなくてもいいけど?」
「う…」
「ほら」
いつまでたっても、慣れないし恥ずかしいし、こんなことを言わせる相手には腹立たしいし、
「…っ脱がせて、さわ…て、い、かせて、…、いれて!」
それでいてやっぱり、快感なわけだ。
「じゃあ順番どおりに、してあげようね」
黒のエプロンの中、赤西さんの頭ごと沈没、
即座に下着がはぎとられ、
そこからはもうめくるめくなんとやら、だ。
「な、めないでくださ、あ、いやぁっ、うあ、あ!」
「らんれ、きもひいいれしょ」
「しゃべんない、でよ、ん、ん」
「こえ、かぁいーれ」
「かわいくねーよ、ばか…!あ、あ!」
あっという間に目の前が白くはじけた。
多分口に含まれて、二分ともたなかった気がする。
「あー。いっちゃった、あれっ早くない?」
相手が目を丸くしてエプロンから脱出、
エプロンの内側がしとどに濡れて、冷静を取り戻した頭では、布ごと引きちぎりたい衝動にすらかられる。
「…久しぶりに、他人に対して死ねって思ったー」
「はは、殺さないでー…、…ねえ、ここチョコとか入れていーの?」
入れたらやっぱり殺す、と思いながら、しかし結局は流されるだろうことも、たやすく想像がつく、
ああ腹立たしい。
それでまた大好き大好きと叫んでしまって、エプロンがまた汚れて、前も後ろもまたぐずぐずになって、羞恥で死にかけて、
それでも好きでたまらないのだと思う。
本当に腹立たしくて、いとおしい。
「ねー、チョコ…」
とりあえず上司の頭をはたいておいて、あとは流されるに任せる。
バレンタインの夜はおそろしく長くて、チョコレートよりも濃密だった。
社会人、ていう部分を今回もっともっと前面に出すはずが、あれ?
チョコ食べながら書いたらこんな感じになってあれれ?
お正月掲載なのに、バレンタインまで突っ走っちゃってすみませ…あ
れれれ?