おれがまもってやらなきゃ、とそれは、使命感にも似た衝動だった。


小さな子ども、相応しくないほどに伸びた爪、尖った八重歯に愛くるしい笑顔。

意味もわからないままの行為で、口もとをべたべたにして、

おれは感慨深く、ハンカチでそれを拭ってやる。

普通の子どもと違うのは、口もとを汚す赤が、スパゲティのソースやオムライスのケチャップではなくて

おれの血であるというそこだ。

菓子やお子様ランチではなく、おれの腕から血液を存分に食して、

弾けるほどに笑っているということだ。




おれが生まれて初めて見つけた、同志だった。












同志












小さな命は、夜も真夜中、雨風にさらされて、皮肉にも教会の前に放り出されていた。

子どもはその手に白い封筒を握りしめている。

手紙らしきそれは雨に打たれてずぶ濡れというのに、その子どもだけは雨に嫌われて

髪の一筋さえも雨雫が滴る様子はなかった。

子どもを避けて弾け跳ぶ雨粒のせいで、夜の暗がりなのに、小さな存在はなんだかきらめいた。

傘を差したままだったおれは、思わずそれを差し出した。

子どもはわけがわからないという顔で、おれを見上げる。


「こら、そのままいちゃだめだ。

 濡れてないの、…ばれちまうだろ」


懇切丁寧知らせてやったが、やはりわけがわからないという風に、首を傾げた。

子どもは、少しの逡巡のあと、白い封筒を差し出しにこりと笑う。

笑った。

この子どもは、笑うのだ。笑いかけるのだ。

呆けたままおれは、子どもを見つめ、ほとんど無意識に手を伸ばした。

差し出されるがまま封筒を受け取ろうとすると、その手をひかれて、やはりといおうか、

ぱくりと噛みつかれた。


「あー…やっぱりおまえ、そーなんだ…」


腕の痛みよりも、初めて出会った、同志の存在に衝撃を受けた。

天命だ、運命だ、などと思った。

嬉しさと、複雑さと、哀しさと、生き別れた兄弟と再会したような懐かしさに喘いだ。


傘に守られないおれの肩をも、雨粒は避けて弾けた。

奇異なこと。

おれが傘をさすのは、雨からでなく、

世間から身を守るためだった。


腕よりの血が滴る指先もそのままに、子どもの持っていた白い封筒を開く、

雨で滲みながらも、辛うじて手紙の内容を確認できた。

この子どもの母親からだ。

普通じゃない、もう無理だ、私は何を生んだのか、育てられない、成長しないの、助けて、腕が痛いの、噛まれるの、噛むの、助けて、

ざっとこのような感じだ。

それはそうだろう。この子は普通じゃない、それは当然だ。

まず第一に、雨や風、日の光、人工でない火、雷、その他全ての自然現象は、おれたちの存在を黙殺する。

まるで、おれたちは地上に存在してはいけないとでも言わんばかりだ。

第二に、血を求める。

発達した八重歯は看護婦などよりよほど正確に血脈を探し当てる。喉からではなく八重歯に通った管から直接血液を摂り込む。

第三に、たいへんに長く生きる。成長自体がゆるやかでもある。

この子どもも二つかそこらに見えるが、おそらく実際はもう少し年長だろう。

古くから、吸血鬼、バンパイア、ノーライフキング、言い方は様々なれど、

おれたちは畏敬され、妬まれ、恐れられ、迫害された。

モンスター、と西洋では分類される。

そうだ、モンスターなのだ。おれも、この子も。

この子どもの母親が、この子にその片鱗を見ておそろしくなったとして、どうしてそれを責められようか。


「おにいちゃん、このおうちの人?」


考え込むおれに、子どもはまた笑いかけて訊ねた。

子どもらしい、曇りのない、純正な声音だった。

この、と教会を指差すので、思わずおれも笑ってしまった。

気まぐれに突っ込んであったポケットのハンカチで、子どもの口を拭い、自分の腕の止血をしながら、教えてやった。


「っはは、まさか!ここに住んでるえらーいおじさんはね、おにーちゃんやおまえのことが大嫌いなの」

「ええ…!どうしよう、おれ、ママに、きょうからここんちの子になりなさい、てゆわれたのに」

「…じゃあおれんちおいで、うちに住めばいいよ」


誘拐犯のような台詞で子どもを抱きあげ、傘を構えなおして、

なんとも言えない寂寥と高揚に揺られながら

帰路をたどった。

腕の中の体温が愛しかった。


「なあおまえ、名前は?」

「ママが、ふうとうのうしろに、かいてくれてたよ」

「…ふ、変な名前!」



今から三十年前の出来事だ。












「じん!てめえちゃんと見とけっつったろ!いくら損したと思ってんだよッ」


亀梨和也は、今現在、三十五歳になる。

しかし見た目はまだ十五かそこらなので、

それがコーヒー片手にパソコンを弄り倒して、株の変動に執心している姿というのは、なんとも違和感だ。

が、この日本国において、おれたちのような生きものが収入を得るには、株やら競馬やらの賭けごとに頼らなければやっていけない。

和也にもおれにも戸籍がないため雇用の口がなく(あっても百七十歳の人間を受け容れてくれる企業などありはしない)、外見もかわらないため、

ひっそりと暮らすしか仕方ないのだ。

ところがおれが百四十歳のときに手に入れた和也という子どもは、たちまち株で成功し、

偽の名義をどこからか手に入れ、その日暮らしだったおれを都内の高級マンションの最上階まで連れてきた。

女のヒモになるくらいしか能のなかったおれで、完全に和也に尻に敷かれているわけだが、

それでもあの日の思いはまだ胸にある。

この子を、守ってやらなければと。

経済力を手に入れても、口が悪くなっても年齢を重ねても、嘘を覚えたところで、和也はそれはそれは純真だ。おれなどより、世間の人間などより、ずっとだ。

飼っていた猫の死に素直に悲しみ、他者の裏切りに傷つき、おれの存在に安堵する。

ときどきおれの血を吸って、おれも和也に血をもらい、それでその日はセックスして、和也はそれが嬉しくて泣く。

おれはこの世の中で和也だけを愛しているけれど、和也はまだおれの他に、世の中をも愛している。

純粋さにおれも泣けてくる。

あと百年しても、このままいればいい。そう思うので、おれはおれのできる精一杯で、和也を守っている。


「あーもうそれは悪かったって、ところでなあ、晩飯なにー?」

「ごくつぶしめ。ビーフシチューだ。」

「マジで!やった」


おれに抱きすくめられれば、今だに赤くなる。

これは紛うことなきバンパイア。

人間くさくて、頭が切れる割に鈍いところのある、いとしいモンスターだ。

おれのたった一人。



和也はときどき、山ほどのバンパイア映画をレンタルしてきた。

必ずおれを付き合わせて、必ず泣いた。コメディでも泣いた。

このひとたちには、たくさん仲間がいるんだね、と、無邪気な十歳の和也は言った。(まだ見た目は六歳くらいだ)そして泣いた。

は、こんなんウソモンだよな、こんないっつも血ぃほしくねーもんなおれら、と、少し擦れて十五歳の和也は言った。(まだ見た目は八歳くらいだ)そして泣いた。

吸血鬼でも恋愛できるなんてありえねえ、と、たいへんに切なそうに十七歳の和也は言った。(まだ見た目は九歳くらいだ)そして大泣きした。

おれにはじんがいてよかった、と、満足そうに二十歳の和也は言った。(まだ見た目は十一歳くらいだ)そして少しだけ泣いた。

じんがすき、いつになったら、こんなふうにしてくれるの、と、恋愛ものの映画を見て、辛そうに二十四歳の和也は言った。泣かなかった。

和也の涙がこぼれる前に、いとも簡単におれの理性が途切れたからだ。

じん、児童ポルノで捕まるんじゃない、などと嘯きながら、和也は幸せそうにおれにしがみついた。

可愛くて、そのときについ和也の首筋に噛みついて、それで和也はなんだか気持ち良くなってしまったようで、

それ以降はなんとなく、セックスと吸血行為がイコールで結びついてしまったおれらだ。

和也の血は本当に極上で、三日は食欲が満たされたままなので、

なら食費も浮くしもっとえっちしようよ、じんの血もおいしいからだいすき、とまあどうにもマッドテイストな発言をする始末だ。

じゃあ血だけ吸えば、というと、ただそれだけの行為はなんとなく気が乗らないのだという。

本当に可愛くて愛しくて、たとえば恋人と息子と孫とそれから戦友、そんなもの混ぜこぜにしたらおれたちの関係と和也への愛情は説明がつくのか。

世界にたった二人、今ではおれは、和也がいないで生きていたことが信じられない。



吸血鬼、というものを、生まれてこのかた、おれ以外では和也しか知らないから、他がどうなのか知らない。

そもそもおれたちがそこに分類されるのかも、他におれたちのような存在がいるのかもわからないが、

おれたちは基本的に、血を吸わない。

まだ分別のつかない幼いときには、母親などに無意識に噛みついたりするようだが、

自分を抑えられるようになってからは、三度きちんと食事をすることで

ほとんど血を欲することはなくなった。

ただ、半年に一度か二度、どうしても衝動の抑えられない時があり、

大切にしていた女の肌と心に傷を残しては、己の奇異が露見する前に彼女の前から姿を消して、

それを繰り返していた。

さらに言えば、吸血鬼というのはおそらく遺伝ではない。

おぼろげに記憶に残る、おれの父や母、その父母も、ただの人間だった。

持て余す暇にかまけて、おれの先祖まで調べあげたことがあったが、およそ不審な点はなかった。

和也の父母も至って普通の夫婦だったという。

もっと大昔、どこかでその血が混じっているのかもわからないが、だとしたら、おれとじんはもしかしたら遠い親戚だね、などと和也は笑った。

しかしおれは、そうだね、と笑いながらおれは、それは違う気がするのだ。

大昔、孤独に耐えかねて愛した女の一人と子どもを作ろうとした。

今考えるとなんと身勝手な、だけれどそのときは半ば、自分の分身にすがりたいと半分狂っていた。

ところが、子どもはできない。次の女とも。その次の女とも。孤独を重ねるうち、確証があるわけではないが、おれは思ったのだ。

生殖能力が、バンパイアにはないのではないか。

きっと、突然変異か、神の気まぐれで、おれたちは普通の女の腹に生をなしたのだ。

ほとんど確信めいたそれは、おれの胸の内に留め置いて、墓までもっていく秘密だ。

いつ墓に入れるのかもわからない。

いつまで生きるのかもわからない。

おれの外見は、二十歳の姿で成長を諦めたまま。

それでも今はそばに、和也がいる。


和也がいるのだ。












続きそうですね。(他人事か)
もし続くならパパをしているAさんとか、日常編とか書きたいです