これだ、と思った。

自分が光源氏になれたのだと信じた。

どうしてこのように年端もゆかぬ子どもが、遊女たちを仕切っているのか。

しかしその鮮やかな手腕たるや。遊女たちの揉め事を上手くほぐし、野暮な客は卒なくあしらい、

それでいて自身を使う養い親ともいうべき楼主への恩義も持ち合わせている。

言葉の端々からどこかこの遊郭から浮いたような、子どもたる生意気さも見て取れて、それが却って擦れていない純真さを思わせた。

そうして何より、彼女はとても、うつくしかった。

一見とてもそうは見えないのだろう。化粧っ気もなければ、質素な着物に身を包み、髪も手入れらしい手入れはしていないようだ。

それでもうつくしいと、そう直観したのだ。

この子どもが、さなぎから蝶に羽化するのを、自分だけが見守ってやりたい。

番頭新造であるということは、誰かのお手付きとなった可能性も低い。

ああこれだ。ここにいた。

探して、探し求めて、数多の女御を抱いて抱いて抱いて、どれもやはりどこか足りなくて、子どもが十八人、どれも可愛い、

しかしその母たちはとてもじゃないが、赤西家八代目の妻たる重圧に耐えうる器ではなかった。

二十二を数えるまで誰とも婚儀を結ばなかったのは、赤西仁その人が、ただの阿呆だったわけでも無能だったわけでもない。

ただ求めていたのだ。


一生を注いで愛し愛される、つよくしなやかな、賢い女を。










葉桜のころ









赤西の眼鏡にかなったその子どもが、なんと男だと知ったのは、

お忍びでその遊郭を訪れて三度目になろうというときだった。

なんとなく赤西の正体に気づいていた楼主が、うちの散茶は、太夫は、と揉み手をせんばかりの勢いでやってきたので、
あれを所望する、と和也を指した。

和也は指の先で、こちらに気づく気配もなくくるくるとよく働いている。なんともかわいらしかった。

楼主は言葉に詰まり、他にもよい妓がいますが等と狼狽えたので、何か問題があるのかとひと睨みすればあっさり口を割った。

公然の秘ではあるのですが、あれは男です、と。

はじめは、いっそ冗談であってくれと眩暈もしたが、そこが赤西という男のしたたかなところで、

まァすでに子どもには恵まれているし、性別を隠しておけば和也を妻に迎えてもなんら問題ないとすぐに考えを改めた。

それでも良いと返答すると、楼主はひっくり返りそうな勢いで驚き、ならばとすぐに話はまとまった。

若葉が深い青に染まるころだった。



初めて和也と同衾した晩、知り合いから稚児と契る際の手管をいろいろ教わっていたにもかかわらず、

すべて頭から吹き飛んだ。

和也が、よろしくお手ほどきのほどを、などと言うからだ。

気の強さも矜持の持ちようも、機知に富んだ言い回しも、全てが赤西の好みだった。

開け放った窓から、夜というのにぬるい風がやってきて、赤西の背を嗤うように舐めていく。

潤んだ瞳もなんともいえず愛おしく、子どもと大人の境目をさまよう若木のような身体に、年甲斐もなく夢中になり、

子どもが泣いているのを見て初めて無茶をしたと理解する。

赤西は自分にこんな感情が残っていたのかと驚いた、

嫌われたくないのだ。

泣きやんでほしいと抱きすくめて、結果それがもっと怖がらせたのではないかと怯えた。

背びれ尾びれの噂を抱える天下の赤西家の八代目は、この子どもの機嫌を損ねる、そのことが何よりもおそろしくなってしまったのだ。

なんとも間抜けだと自嘲しつつ、久方ぶりの恋情に酔っていた。


蝉の声すら祝福めいて聞こえるのだから、夏も悪くない。




年若い番頭新造に、至上の教育を施すよう金とともに楼主に申し付けた。

和也は水を吸って根を張る若木だ、教えられたことを吸収してまたたく間に自分のものにした。

箏に三味線、詩吟、教養に立ち居振る舞い、その子どもは教わることを、戸惑いながらも楽しんでいたようだ。

そうして、自分の成長を赤西に認めてもらうことを、なによりの喜びとしていたらしかった。

赤西はその傍らで、蕾んだ花が大きく開いてゆくのを存分に楽しんだ。

その間、他の誰にも見向きもせずにいたもので、天下の色男がそこまで入れあげるというのはどんな遊女かと江戸中が色めきたったが、

赤西は頑として和也を表に出さず、女名も持たせず、和也の存在は長く人々の謎のままであった。

床では廓言葉も禁じた。わざと高い声で囀ったり、女の所作をすることも。

太夫にも引けを取らぬ教養を身に着けた、その花魁の着物を剥ぐと、等身大の和也が赤西の腕の中にころりと零れ落ちる。

それがなんとも優越感で、愛おしかった。


「仁さま、へんなの。おれ、このまんまだと、ただの田舎者に戻ってしまうというのに」


和也はいつも呆れて言うが、なんのことはない、彼はそのままでも十分に磨かれてうつくしかった。

ひげだって生えるようになったし、声も低くなりつつある。それすらも楽しめるほど赤西はその子どもを溺愛していた。

うちがわの方から発光するようで、きっとおれと違い中身も綺麗だからなのだろうと赤西は考える。

抱いても抱いても飽き足りない。これがいなくなったら、自分は死ぬかもしれない。

そんな稀有な存在と出会って、三度目の夏がきた。

和也は十六になっていた。



和也が十七になったとき、赤西はひとつ決意をする。

育て上げた若紫を身請けをすることを、両親及び祖父に了承を取った。

母などは父のもっとも入れあげた愛人が遊女だったこともあり、渋々といった体であったし、

祖父は嫁が男などもってのほかという頑固さだったが、好物の豆餅(祖父は庶民の好むようなものを特に好いていた)を山と積んで懐柔した。

いざ和也が身請けされるとなると、花魁道中というものを遊郭を上げて行うこととなる。

赤西は莫大な身請け金のほか、その支度代も盛大に色を付けて楼主へ渡した。

桜が散る季節だった。

吉原では桜は毎年、咲く季節にのみ植樹され、散った後にはまたよそへ移し、夏の花へ植え替えるのが常だったが、

今年に限りそのまま植わっている。

散った後の葉桜が、いのち溢れる感じがしてとても好きだと和也が言うので、

その葉桜を臨んで道中がとり行われる運びとなったからだ。

本来ならば、客の所へ出向くための“道中”であるが、

和也は最初で最後、赤西へ嫁ぐために初めて、大衆の眼前に躍り出る。

赤西はもうそろそろ落ち着いて然るべき壮年であるのに、動悸がしてたまらなかった。

和也を他人に不躾なまなこで見られることは不安、しかし手塩にかけた和也を見せびらかしてやりたい、それが叶う高揚感、

何より自身へ嫁いでくれるという泣きたいほどの喜び。

有頂天とはこのことか。

落ち着けという方が無理であった。




だから、和也が明日にも輿入れというそのときに、

大いに泣き出したことに非常に慌てたのだ。


和也は泣いた。

夏の気配が薄く匂う夜、

和也がこの格子のついた窓から外を眺めるのは、それが最後となる晩だった。

桜が舞っている。

あの花びらは、きっと夕刻の茜差す空にもよく映えるだろう、明日はお前の肩にあれが吹雪いて、美しいだろうなと言ったら、

唐突に泣き出したのだ。

今まで、閨での睦み合いの他で泣いたのを見たことがなかったから、

赤西は狼狽ここに極まれりといった表情で固まった。


「なぜ、なく?

 お、れのところへくるのが、嫌か?」


和也はうんともすんとも言わない。


「では、道中が嫌なのか?」


首を縦にも横にも振らない。

和也はあの頃より幾分も背が伸び、髪も伸び、目鼻立ちも美しく整った、

それだのに今目の前で縮こまるのはなんとも幼く、頑是ないただの子どもと見えて、赤西の動揺は激しくなるばかり。


「くそ、おれは、ゆずらねえぞ。

 お前が嫌といおうが逃げようが、まして他の男や女がいいといおうが、

 踏んじばってでもおれのものにする、

 道中なぞしてもしなくても構わねえ、お前は一生おれだけのものだ」


こんなことを言っていっそ本当に嫌われたかと思うが、赤西には、和也の手を握りしめそうするしか能がなかった。

初めて和也を見た日の衝撃を忘れない。

岡惚れなどする奴の気がしれぬと鼻で笑っていた自分が、まさか十四の子ども、それも男をこうも惚れぬくなど。

膨れ上がった金貸し屋の八代目など荷が重い、金も世もいっそどうとでもなれと蔑視していた自分が、

和也を磨くために、自分には金があって本当に良かったと思うようになった。

そうして、そして、和也を、子どもたちを食わせていくために、やはり長子たる自分がしっかりと跡目を継がねばと決意させるに至らせた。

和也はその核だ。

この手を離さないと決めたのだ。


「仁さまは、」


蚊の鳴くような細い声が聞こえた。

男声だった。(赤西や楼主、おかみ以外の対外者には、和也は甲高い女声で接している)


「仁さまは狡うございます。

 わっちは、」


和也はそこで、泣き濡れた顔を正面切ってこちらへ向け、涙で洗われた瞳で赤西を責めた。


「いいえ、おれは、

 …おれはずっとずっと、あなた様からいつ飽きられるのかとこわくてならなかった、

 遊女の身で、しかも男で、

 あなた様の愛を乞うなど愚の骨頂と言い聞かせてやってまいりました。

 身請けのお話が来ても、夢のようなそのお話があってさえ、

 おれは今後、どんなお美しいお妾さま方とあなた様の寵を競っていかなければならないのかと、

 不安で不安でいつだって張り裂けそうです。

 だのに、」


だんだんと声は張られ、耳のずっと奥の奥までそれが届いて、頭の真ん中を掻きまわす。


「だのに仁さまは、ただの一言も、

 おれを好きと、愛していると言って下さらない…!」


血を吐くようにしてそれだけ言い切ると、

和也はしばらく目を伏せた。

そうして次に、和也は正しく座して、背筋を張り、衝撃に呆けるだけの赤西を尻目に、

花魁然として高飛車に赤西を睥睨した。

握られた手がふり払われる。

ゆらと蝋燭が揺れる。

赤西の贈った最高級の蒲団に着物、髪留めに紅、そこにいるのは紛れもない、

最上位の花魁太夫その人だ。

他の誰も客をとっていないとはいえ、最上位の花魁となった和也は、赤西よりも上座に座す。


「赤西様、わっちはお客人を気に入らなければお断りしても、お許しいただけるようになりんした。

 あなた様が授けてくだすったのでありんすよ、この地位を。

 さあ、どうぞ申されなんし。

 あなた様が、わっちに何をお求めか!」


涙の跡もそのままに、花魁はこの上もないほどにうつくしかった。

その迫力に赤西は思わず息を飲む。


「…ご存知でありんしょう、花魁のわっちからあなた様を乞うなど、できようはずもありんせん。

 どうぞあなた様から、わっちを、和也を欲しいと、どうか…」


自分の前では禁じたはずの廓言葉、振り絞るような女声に、赤西は泣いた。

こんなにも和也を追いつめていたことを、それに露とも思い至らなかった自分を、死ぬほどに恥じた。

喉仏のある咽頭、節ばった指先、股座には自分と同じものがついている、

それでもこれは天下の吉原の太夫である。

その天女に惚れたのだ。

礼と仁を尽くして、赤西は結婚を申し入れ、

そうして着物ごと和也を掻き抱く。


「愛している。花魁、おれのものになると言ってくれ、」


お前の他に妾は持たないと泣きながら叫べば、

和也のほうも、今度こそぐしゃぐしゃに泣き崩れたが、それでも涙の奥で晴れやかにほほ笑んでくれた。


「仁さま、おれも、深く深く、お慕い申しております。

 和也はどこへでもお供して、したたかに、ひそやかに、仁さまが生き良いように、

 力を尽くしてまいります」


ただただ、若紫の成長に驚くような口上だった。

再び二つの手は結ばれる。

赤西のものか和也のものかもうわからないが、お互いの手の甲に、涙の粒がいくつもいくつも降り落ちた。



桜は散る。

散ったのちには、青々とした葉が力強く枝をしならせる。

それを愛でる和也がうつくしいのは、そのいのちのたくましさゆえだと思った。

外八文字で高下駄を鳴らせて、禿や若い衆を引き連れ、夕暮れの道中をしゃなりしゃなりと歩く。

和也の肩に頬に髪に、どこから舞い降りたか桜の花びらが彩りを加える。

吉原の大門を背にして、凛と背を伸ばし、それでも和也は一顧だにしなかった。

そのまま、赤西の待つ輿へと、弾けるような笑顔で乗り込んだのだった。



長らく江戸の人々の好奇の的であった謎の太夫は、その歓声と感嘆のため息のなか、赤西へと嫁いだ。

名を持たぬ謎多き花魁として、その後も長く大衆の中で語り継がれることになるが、

和也は突然に妻となり母となり、そして夜にはただの和也となり、

夫を支えることに必死であったため外部の雑言はその耳には入らなかったようだった。

赤西は跡目を継いで多忙を極める日々のなか、

和也をこそぶれぬ指針として大切にすることで、赤西の家を大きく成長させていく。



葉桜ののち、蝉が鳴いて、紅葉も散り、雪が舞い、

そんなことが幾十回も続いてのち、

道中の日と同じく、散る桜の季節に病で伏した和也を看取った。

自身もそのすぐあと、子どもたちに看取られ、

和也を初めて愛したあの日のような、蝉の声の夜に、

和也のもとへと旅立つこととなる。

子どもたちが枕元で、和也の位牌を抱えながら泣き崩れるのを見て、

ああ本当に幸せな人生であったと、

赤西は笑って目を閉じたのだった。

弱った耳に届く蝉の声は、あのころを思い出させる。

はたして、夏も悪くないものだ。













まさか老後まで書くつもりはなかったのに、えへっ
今回、これを書くのに「さくらん」やら「吉原炎上」やらを借りてきて、
さらにネット上や文献の花魁知識をかき集めましたが、
あんまり生かされてなくてすみませんです

素晴らしいリクエストありがとうございました、お応えできたかわかりませんが、楽しくかけました!