上司(38歳)×部下(28歳)
ヘキレキ
まさかの出来事だった。
とりたてて学歴の良いわけでも、新卒でもないおれが、職にありつけた。
青天のヘキレキとはこのことだ。
…いやもう、難しい漢字や熟語に弱いこのおれが、優良企業であるこの会社になんとか雇ってもらえたのは、
他ならぬ赤西さんその人のおかげだ。
帰国子女だった彼は、同じく小難しい日本語が苦手であったというが、
その英語力を生かし、若くして課長の地位まで上り詰めており、人事にまで口出しできたというのだから驚きだ。
若干38歳、会社設立以来の年若い課長だった。
たった十歳しか離れていないおれはといえば、前の会社のくだらない派閥争いに巻き込まれて辞職し、
彼が拾ってくれなかったらおそらく、いまだコンビニででもバイトするしかなかったかもしれない。
それでも彼は、おれを見出してくれた。
やさぐれて一人、初めて入った飲み屋で、偶然隣の席についたのが赤西さんだった。
ローテンションで眠そうで、世の中どうでもいいと思っていそうな、そんな雰囲気だったから、
まさかおれの入りたかった企業の課長まで勤め上げる人物とは思いも至らなかった。
見るからにヤケ酒だったおれの話を聞き、本当はこんな会社に入ってこんな仕事をやりたいという構想をついぽろりと口にすれば、
ぽん、と頭に手を置かれ、そのままぐしゃぐしゃに撫でられた。
「なぁにすんだあんた!」
初対面のくせになんという失礼な奴だ、と初対面の年上の人相手にくだを巻いた自分を棚に上げて怒ったが、
彼はふむ、とひとつ鼻を鳴らすのみ。
そうしてハイボールのグラスを傾けつつ、
「おまえ面白いな。そういう仕事、おれもやりてえわ。
なあ、うちにおいで。一緒にやろう」
頭を撫でていた手が懐へ、そこから名刺が取り出され、そこには彼の名前と肩書き、会社名。
おれは呆けたままそれを受け取り、一週間後には面接が決定したのだった。
恩を返したくてばりばりと働いた。
彼直属の部下となったことがうれしくて、外資系の仕事もやりがいがあり、
たった一つの憂鬱な案件を除いては、毎日が楽しくてしかたなかった。
そのたった一つというのが、これまた男として恥ずかしい限りなのだが、
隣の部署の男にストーカーされていることだった。
はじめは、いちゃもんをつけられていただけだった。
たいした大学もでてねえくせに、裏ルートで入りやがって、課長のアレでも舐めたのか?
あの男が出世したのは、ゲイだからだぜきっと、いまだ所帯ももたねえ、お偉いさんのアレをお前のように咥えたから、課長にまでなったんだ、
…そんなことを言われたので、本来野育ちのおれは、
笑顔で相手をぶん殴ってやった。
顔はやばいので腹にした。もちろん人のいない会議室に呼び出しての蛮行である。
うずくまるそいつを足蹴にして、踏みつけて、上から威圧するように吐き捨てた。
「仕事でやり返せ糞野郎。
あとな、おれはどういわれてもいいけど、課長まで馬鹿にするんなら出るとこ出んぞ」
この場合、出るとこ出て困るのは完全に自分の方だったが、あえてそんなふうに締めてやった。
相手もプライドがあるので、言いふらしたりしないことも実践で学んでいる。
ところが、だ。
誤算だった。
誤算も誤算、大誤算だ。
こんな事態になるなどとまさか思っていなかった。
ぞっとする、
相手は真正のマゾヒストだったのだ。
いちゃもんつける代わりに、メールやら電話やら、果てはアパートにまで押しかけて、
もう一度踏んでくれ、あれで君を愛してしまった、好きだ、女王様になってほしい云々、
初めは適当にあしらっていたが、いつの間にやら隣の部屋に越してきて、壁越しに生活音を逐一聞かれていたと知った時は、
こわくてこわくて仕方なくなった。
今日は一人エッチしたの、おれも混ぜてほしいなどとポストにメモ書きが入っていて、
背中を冷や汗が伝う。
すぐさま引っ越した。
引っ越すからには住居の変更届を上司に提出することになり、それを不審に思った赤西さんがことの真相を聞いてくれたのだ。
とうとう打ち明けた。
男として恥ずかしいんすけど、こわいんです、と胸の内をさらすと、
いつも眠そうでやる気があるんだかないんだかさっぱり掴めない彼が、
烈火のごとく怒った。怒ってくれた。
なぜもっと早く相談しに来なかったのか、何かあったらどうするんだ、
相手を今から殴りにいく、と。
「え?」
「隣の部署の変態つったら、あいつだろ。行くぞ」
「い、いやいやいや待って、赤西さん落ち着いて!おれ、大丈夫だから!引っ越したし、ケータイももう替えますし!
あんな奴殴って、万が一赤西さんが警察沙汰とか、おれやだよ!」
「大丈夫。うまくやる。お前がやったみたいに、腹だけにする。
おれの気が済まないから、解雇する前に一発殴らせろ」
赤西さんはアルマーニのスーツの上にダンヒルのコートを優雅に羽織り、仕事用のクラシックな革靴を鳴らして戸外へ。
グッチの鞄を左手に、右手にはなんと、おれの手を引き連れ、奴の部屋へ向かった。
びっくりするのは、捕まえたタクシーの中でもずっと、その手を離さないでいてくれたことだ。
運転手になんと思われているだろうか。
顔から火が出るほど恥ずかしいのに、おれはなぜだか、その手を振り払ったりできなかった。
いざ相手の部屋の前までつくと、尻込みするおれを後ろに隠し、
上品にノックする。
「赤西課長!?」
背筋を正して中から出てきたその男に、とびきりの笑顔で、彼は宣言した。
「悪いな。うちの亀梨は、どっちかっつうとエムだから。
てめえとは合わないよ、女王様探しはよそでやれ」
強烈な右が見事ボディに決まり、相手は胃液とともにうずくまる。
やはり笑顔だった。
以前同じことをした自分を完全に棚に上げ、なにこの人こわすぎるだろ、とも思ったが、
彼の背中が頼もしすぎて、縋りたい気持ちの方がずっと強かった。
「ネタは上がってる。警察に届けられたくねえなら、今後亀梨に近づくな。
それと…、明日から、職安いけよ」
それだけ言うと、唖然とするおれの腰を抱き寄せ、再び待たせていたタクシーに乗り込む。
自分の心臓の音が早すぎて、そしてその理由に自分で気づきかけていて、
だからこれが相手に伝わらないかとそればかり心配する。
もう運転手も、さっきまであれほどに恐れていたあの男も、露ほども気にかからなくなっていた。
「かめちゃん、…引っ越し先、どこだっけ。」
かめちゃんと、少し前から呼ばれるようになっていた。
学生でもあるまいし気恥ずかしかったが、今はなんだかただただ嬉しい。
赤西さんは、動悸と安心を一緒にくれる。
「あ、ええと、この先右へ…」
「おれも行っていい?」
「へ?…え?」
「ちゃーんと防犯システムばっちりのとこか、おれが見極めてやる」
ふぁ、とあくびしながらのくせに、
その右手がおれの太もものあたりを抜け目なく探る。
本当に食えない男だ。
腹立たしくてたまらないが、好きだ愛してる気持ちいいが先に立ち、
タクシーの中でキスを仕掛けたのは他ならぬおれだった。
青天のヘキレキ、二度目は今、この瞬間だ。
タクシーの運転手さんが中丸さんとかで、必死に見て見ぬふりとかしてるはずです
次、勢いあまって書いたバレンタイン編に続きますー