焦がしたカラメルよりも苦い。シナモンはいつも塩辛い。

苦しいけど考えてばかりいる。

この気持ちが_でなくてなんだ。

これが_じゃないなら、おれは一生_を知らなくてかまわない。






およそ以上のようなことが、旧いノートに書かれていた。

和洋中なんでもござれ、おれだけに分かるようにまとめられたレシピノートの、ほんの片隅。

マジックで4というナンバーが表紙に振ってあって、それの一番最後のページに書かれているということは、きっと五年ほど前、春の終わりごろの所業だと推測 される。

春だ。春だったのだ。全裸にコートの変質者が多く湧くのがこの頃だ、おれの頭も大いに湧いていたのだろう。


「うぐああああなんちゅう恥ずかしい…」


五年前の自身の誕生日、一体なにを拵えたか(おれは、自分の誕生日だからこそ、親しい人々に料理を振る舞うことを喜びと感じる人種だ)と、軽い気持ちでレ シピノートを紐解いただけだったのだが、

まさか思春期の少女の書くそれのような、己の恋患いポエムに出くわすとは。

書いたことすら忘れていたが、当時はそれなりに真剣で、かつ行き詰まっていたらしい。

おそらく恋、とでも書いたのだろう部分を、煙草を押し付けて消してある。

五年前といえばべらぼうに未成年だったはずだが、煙草は手っ取り早い大人への通行手形だった。


「まさか見られてねェとは思うが……」


他に誰がいるはずもないキッチンの片隅で、きょろきょろと辺りを見回す。

このレシピノートは今の今まで、荷ほどきもせずに放っていた引っ越し用の段ボール、その最下層に眠っていた。

五年前のレシピなど箸にも棒にもかからないと思っていたが、これはまたとんでもないものをひっかけてきたもんだ。

恥ずかしさに埋まりたいとも思う。

一方で、あのころの痛切な片思いを、懐かしくも思うのだ。

ナンバー4のノートはシナモンの香りが強烈で、五年前はその香辛料をとにかく試したいお年頃だったのだなと振り返る。

香りは記憶をたぐる。脳の中で、匂いを司る中枢は、記憶を司るそれの真隣に位置するらしい。

シナモンの香りのころ、おれは高校生で、あいつも当然高校生で、当然のようにケンカばかりの日々だ。

同性愛なんて許され得ない狭いコミュニティにおいて、常に苦悩していた。

それ以上のしがらみもあった、思い出しても身もだえしそうな。

甘いはずのその香辛料が、いつも塩辛かった、その記憶が昨日のことのようによみがえった。





当時、ゾロは当たり前のようにして剣道部だった。

小学校に上がったなりから始めたらしい剣道は、奴という存在を構成する上でかなり大きな部分を占めていた。

睡眠とか食欲と同じような感じで、剣道は奴の中にあって、

反して、学生の本分である勉強だとか色恋だとかは、たくましすぎる脳筋に押し潰され、奴の中では米粒ほどの価値しかなかった。と思う。

それでもおれは、いや、それだからこそおれは、ゾロをとても好ましく感じたのだ。

今まで出会ったなにものよりも、未知で理解しがたくて、だから近づきたかった。

料理部がなかったから、おれも剣道部に入部した。動機は我ながら気色悪いもんだったから、周囲には勿論ゾロ自身にも、「なんとなく」で貫き通した。

ほどなくして、ゾロがおれにマネージャーのほうを進めてきた。

ばかにしてんのか、と言い返したら(二か月かけ、これくらいの軽口がたたける中にはなっていた)、


「真剣にやらねェんなら、怪我する前にやめろ。……ふざけた気持ちで手ェ抜いてんのかと思ったが、どーもそうじゃなさそうだし。
 
 てめェ、なんでか知らんが。……手ェ、大事なんだろ」


かぽり、と面を外し、視線だけをこちらに寄越して。

会って二か月のロロノア・ゾロは、おれをそこまで見抜いたのだ。

知らず、自分の右手に、左手で触れた。やっぱな、とゾロは、にっと笑った。

そこからはもう、転がるようにゾロに落ちた。おれはあっさりマネージャーに転向し、「男のマネじゃテンションあがんねー」とかほざく他の部員の尻を蹴り上 げてまでその座に居座り続けた。

高校剣道会には、三大大会、と呼ばれる重要な大会がある、というそれすら知らなかったぽんこつマネージャーだったが、料理の腕にだけは自信があったので、 栄養管理を申し出てせっせと部員たちの腹を満たしてやった。

仏頂面で、いつもはいただきますとごちそうさま以外言わなかったゾロだが、一度だけぼそりと呟いたことがある。


「もうおれァこれ以外食えねェな」


コンビニ弁当がまずく感じるってのは本当に困るんだ、てめェ責任とれと小さく笑いかけられて、おれは幸せで死ぬんじゃないかと思ったものだ。(照れをごま かそうと、ゾロを道場の端まで蹴り飛ばしてしまったのも良い思い出だ)


八月になり、ゾロはやはり当たり前のようにして全国で一番強い高校生になった。

決勝戦、鳥肌が立ついとまもなかった。文字通りあっという間だったからだ。瞬間、会場は、息を飲んだまま戸惑った。異次元の存在の出現に、我が目を疑った のだ。一拍置いて、割れんばかりの歓声。

その中心に、これまた当たり前のような顔で居るのが、ゾロという男だった。

ゾロの端正な横顔と、一度は触れてみたくなる短い緑髪が、いくつかの剣道雑誌の表紙を彩った。

並み居る先輩たちを差し置いての化け物じみた強さとアイドルじみた人気、……あらぬ誹謗やら中傷やらも投げつけられたようだった。

が、奴の身体は内外とも鋼鉄製だったため、どこ吹く風、といった様子だ。


「中学んときでやられ慣れてる。女の腐ったのみてェな奴ら、眼中にねェ」

「まァ当たり前だけど、てめェ中学んときからずば抜けてたんか」


下校途中。星が出ていたのを覚えている。使い古したスニーカーが二足並んで歩いて、……おれがゾロに勝てるのは成績と足のサイズくらいだった。

三大大会が終わっても気も手も抜かない男の、遅くまでの鍛錬に付き合って、ゲーセンでとった腕時計は8時を指していた。


「おう。ああいう手合いはどこにいってもいる。まァやっかみくらいならいいさ。

 ああ、……だがあれは弱った。中学んとき、トチ狂って告ってきやがった部員がいてな」


すれ違う車のライトが、いやに眩しくて仕方なかった。


「え。男?」

「あ?まーな。後輩だったけどよ、あれはねェな。男同士だっつんだ」

「ぞろ、」

「…ねェよな?ねェって言え。おまえもそう思うだろ、だって男同士だ」

「ぞ、ぞろ」

「気持ち悪ィだろ、な?そう言え!おら、早く!そう思うだろ!?」

「ぞろ?おれは、おれは……っ」


夏服、カッターシャツの背中がじんわり汗をかき直す。とても嫌な汗だ。

ゾロが何を言っていて。おれはなにを言おうとしているのか。

分からないけれど、あほのように涙があふれる。



「頼むから!間違ってもおまえだけは……ッ

 おれを好きとか言うんじゃねェ!!」



そこから何をどうやって、家までたどり着いたのか記憶にない。





共通の友人であるウソップが、マネージャー業を臨時休業して家にひきこもったおれのところへやってきたのは、それから二日後のことだった。


「スイカ!おらー、見舞いだぞサンジ!くっそ重たかったァ」


筆より重いものは持たないと豪語する、将来画家志望の男は、汗を三リットルくらいかきながらスイカを持って現れた。

とりあえず水、と当たり前のように要求され、思わず言われた通り差し出すと、


「んだよ。思ったより元気そうで何より」


ぽんぽん、と肩を叩かれた。その手のひらには、スイカを縛ったナイロン紐の跡がくっきりついている。

頬のあたりに熱が集中するのが分かる。看破されている。ウソップは本当に、いい奴だった。


「さあてサンジくん!とりあえずこのスイカを食べようじゃないか!」

「おれに切らせるわけね」

「当然だろう!はっはっは」


この底抜けの調子の良さに、救われておくに限る。おれはスイカを片手で支え、包丁をくるりと回すと、一気に刺し入れた。

ざくりと小気味いい音だった。青臭い芳香が部屋いっぱいに広がる。夏だったんだなァとあらためて思った。

スイカは見た目の通りみずみずしかった。

皿の端に種を飛ばしながら、ウソップは唐突に話し始めた。


「おまえさ。ゾロ、許してやってくれ。

 あいつなァ、中二のときに、親友の女の子が死んでるんだ。近所の神社の階段から、落っこちてな。

 それ、事故ってなってるけどよ。証拠もなにもねェけどよ、どうやら……あいつに横恋慕してた後輩の男が、やったらしいんだ」

「……ンだよ、それ」


ウソップは中学どころか、小学校からゾロと一緒らしかった。

二日前のゾロの異常な取り乱しようも、こいつなら何か知っているかとは、思ってはいたが。

不自然なほどに淀みなく、ウソップはいつも以上に饒舌で、ほとんど息もつかずに喋った。


「あの邪魔な人は死にましたよ、これでおれを見てくれますか、って葬式の日の夜に告白されたらしい。

 はは、小説なら立派なホラーものだよ。……ゾロはそいつ殴りに殴って、一週間くらい自宅謹慎くらってる」


っと、いけね、とウソップがかがんだ。種が皿からこぼれたらしい。

それを拾おうとして、ぽたり、とフローリングになにかが落ちた。

いけね、とまたウソップは言う。ずび、と鼻を啜る。落ちたのはウソップの涙だった。


「あのころは荒れて荒れて、あいつ……ひどかった。少年Aはあっさり転校しちまって、結局真相は闇の中でよ。

 まァつかまっても少年法に守られるんだから、ゾロが歯ァ折っといてよかったんだ。

 あいつ、憔悴しきって、剣道もやめるって言い出した。誰とも口ききたくねェとかな。

 だから、おれと、ナミとルフィ…っとこの二人は高校違ェけど、まァつるんでるダチだ、三人で順番にゾロをひっぱたいた。

 ルフィは完全に落としかけてたけどな。あ?ゾロの意識をだよ。ルフィってのもべらぼうに強ェんだ。

 んで最後に、死んだ女の子の父ちゃんが、ゾロを抱きしめて言った。あの子の分まで強くなってください、って」


泣きながら、それだけのことを言って、またもくもくとスイカを食べ始めた。

塩はいるか、とあほのような質問をしたら、もう塩味です、と返ってきた。

はたして、おれのスイカも塩味だった。自分もいつの間にか、泣いていたと知った。


高校生男子が二人、泣きながらスイカを齧る珍空間において、おれは料理がしたくてたまらなくなった。

奴の剣道だとか、ウソップの絵を描くこととか、そういうものがおれにとっては料理だからだ。

こういうときにこそ、と、スイカでべとついた手を洗うと、五冊目のレシピノートを引っ張り出した。

まだ比較的真新しいのは、おろしたてだからだ。(忙しくて、春の終わりに四冊目を埋めて以来夏まで、あまりレシピを考案できなかった)

つい書き込んでしまった中二病全開ポエムをはたと思い出し、あの四冊目は永遠に封印しよう、とゲームの台詞みたいなことを呟きつつ、

おれは新たな気持ちで五冊目と向き合う。

まっさらなページを見て、それから包丁に、フライパン、コンロ、続いてまな板にボウル。おれの物言わぬ友人たちだ。

よし、と気合が入る。


「まァいいよ。おれァさ。その後輩じゃねェし。めーわくだろうが知ったことか。

 トラウマだろうがえぐってやらァ」


少し強気に、フライパンを振る。ベースの醤油の香りが、ふありと部屋を満たす。

(部屋にキッチンがついているのだ。一高校生の自室にキッチンつき。育て親であるゼフは毎日おれを蹴飛ばすが、それ以上におれに甘い。)

和風出汁に詳しくなったのは、ゾロの好みだからだ。おれも大概けなげというかなんというか。


「あいつはそんなんで、潰れたりしねェって、おれは知ってる」

「サンジ……おまえ…!」


ウソップは感無量と目を潤ませている。


「だけどウソップ。ナミさんというのはお綺麗な方か」

「お?おお、まァ世間一般から見たらそうなんじゃねェか、よくスカウトも声かけてくるし……」

「おれのゾロへの気持ちと、世の女性全てを愛し愛されたいという思いはぜんぜんまったくはっきり別のものだ。

 ナミさんに、というか世の中の女性におれがホモだとか吹聴したらアフリカの秘境まで蹴り飛ばすぞ。あとナミさんと近々お会いできるようにセッティングす ることも忘れるな」

「………サンジ……おまえ…」


今度はげっそりしてうなだれた百面相男には、二切れ目のスイカを押しやっておく。

無言で噛り付いているのを横目に、レシピノートのトップページに変わりきんぴらとタイトルづける。


「ウソップ。ありがとな」

「……!おう!」


ありのような小さい声だったが、地獄耳には届いたようだ。

おれはおれだ、と菜箸をかきまわしながら、ようやく分かった。

奴にはなんだかひどいことを言われたが、あの超人めいた男も、しょせんはただの高校生だ。過去の傷をずるずる引きずっているだけの、子どもだ。

もういい。

おれなりに、進むしかない。

高校生男子なんてものは、すぐに奈落まで落ち込むが、這い上がるのも早い。細胞レベルでさっさと回復し、また何度でもぶつかるしかないと、本能で知ってい るのだ。





自転車のカゴには、タッパーに詰めた変わりきんぴら。この季節、保冷剤も忘れない。

がこがこと漕ぎまくるペダルが、28センチのアディダスのスニーカーに食い込む。(ゾロは27.5だ)

縁石に乗り上げてタッパーが跳ねる。夏の夕方だ。


「ゾロ!」


目的の人物は、ぴくりと肩を動かした。

ここにいるだろうな、と目星をつけた場所にまんまといた。格技場だ。二日休んだとはいえ、毎日マネージャーとして、おれもあほのように通い詰めている場所 だ。

むわりとした熱気だけを残して、他の部員はもういない。これ以上強くなってどうするのか知らないが、ゾロはいつでも一番最後まで残って、誰よりも強さを求 めている。

逃れられないと悟ったか、ゾロは面をついと外した。

そうして、奴ははじめて、おれから目を逸らした。腹が立ってたまらない。


「スイカ。旨かった。てめェが鼻に持たせてくれたんだろ。ありがとな」

「……」

「だがな、やることが中途半端なんだよてめェはよ。後悔して優しくすんなら、はじめから牽制やら拒絶やらいっちょまえにしてんじゃねェよ」

「…本当に」

「あ?」

「……おまえも、おれを好きとか、言うのか」


夕日が傾いて、ほとんど暗くなりかけている。どんな顔をしてそれを言っているのか。

ゾロははっきりおれに背中を向けた。

おれははっきりブチ切れた。


「女の腐ったのはてめェだろこのクソ○○○野郎!!」


とんでもないスラングとともに、その背中を問答無用で飛び蹴った。

さすがの奴も前のめりに倒れこみ、息を詰まらせている。


「“おまえも”じゃねェ!このおれ“が”言うんだ!てめェの過去だかトラウマだか知るかよ腐れ○○○!!」


ゾロの前では、というかこの格技場ではあまり吸ったことのなかった、煙草に火をつける。

無遠慮にふうと一服ついて、今更教官室を見やる。もちろん教師は帰ってしまっていた。


「おまえの勝手をおれに押し付けるなよゾロ」

「……っぐ、っつ、テメむちゃくちゃ蹴りやがって…ッ」

「タイマンはろうぜ。それとも得物がなきゃただの人か?」

「は!?何言って……」

「いいから準備しろ。さっさと来い」


ゾロはなにがなんだかわからないという顔をしつつも、いざ手合せが始まれば、あっという間に野性になった。





ごろりと転がった、格技場の板張りが、ひんやりと心地よい。

ふたりして指一本動かせないほどに消耗した。

ほとんど暗闇で、お互い死力を尽くしてやりあった。

五分寝そべって、ようやくゾロが口を開いた。


「詐欺だろ。料理人がンな強ェのかよ」

「は、よく言うぜ。てめェ抜いてたろ。おれの手だけは狙わなかったじゃねェか」

「てめェもだ。他のとこはバカスカ蹴りやがったくせに、竹刀持つ手だけは蹴らなかったろ」


互いに肩で息をしながら、妙にすっきりした気分だった。怒りまくっていたのを、そのままぶつけてやれたからか。もっと早くこうすればよかったとすら思っ た。

懐からライターを探る。煙草の先、700度の火がともり、そこだけが光源だ。

ぐぎゅる、と隣から盛大に腹の虫ががなった。


「ゾロ。食え」

「あ?」

「きんぴら。自転車のカゴのタッパにある。ただし半分だけだ」

「は?」


「あれは……おれの恋敵の墓に、そなえるために持ってきたんだ。

 ライバルでもレディだからな、ご挨拶用だ」


ゾロが隣で息を飲んだ。

のっそり起き上がるような気配がする。おれはまだ寝そべったままだ。

暗闇の中でよかった。おれがどんな顔をしているか、見られずにすむ。


「くいなちゃんの墓、案内しろよ」

「ウソップに聞いたのか」

「鼻を責めるなよ。強引に聞いたんだ。くいなちゃんがきんぴら好きだったってこともな。

 …おれはさ。おまえの大事な人を誓って傷つけないし、この通りやたら強いから簡単にくたばったりもしねェ。

 おれは少年Aじゃない。くいなちゃんでもない。おれはおれだ。おれでしかない。

 ありったけのおれで、おまえが好きだ」

「……」

「男からの告白が嫌とか、過去の傷がどうとか、おれの知ったことかよ。

 乗り越えろ。おれ自身を否定するんなら構わねェが、おれを通してどっかの誰かに怯えられるってのァ虫唾が走る」


ひどいことを言っている自覚はある。中二のときの事件ということは、まだ三年もたっていない。新しい傷をぐりぐりえぐっている。

カウンセラーにゃなれねェなと心のうちでため息を吐く。


「おれァしつっこいからよ!何度でもタイマンふっかけつつ、ノーマルなおまえをホモの道に引きずり込んでやる!

 いやいやおれも別にそっちじゃないけどな!?女の子が大好きだけどな、おまえかレディかが崖にぶら下がってたら迷うことなくレディ助けるけどな、そこは 間違えるんじゃねーぞ?」

「……食う。寄越せ」

「あ?」

「きんぴら。寄越せよ」


仕方なく、重い身体を引きずって、自転車のカゴから目当てのものを取り出す。

割りばしまで添えてやる心遣いだ。

格技場へ戻ると、いよいよ月の光がきれいに窓から差し込んで、少し目を凝らすとゾロの姿が見えた。

まさかの正座で待っていた。伸びた背筋が美しいと、毎度思う。


「クソご丁寧にお召し上がりなんですねお客サマ?」

「うるせェ。さっさと寄越せ」

「へーへー」


いただきます、と律儀に手を合わせると、詰め込むように食い始めた。

きっちり半分残して、ごちそうさまとこれまた律儀に手を合わせ、それでゾロは正座を崩した。

割った箸を几帳面に袋に戻している。武骨な指だ。


「おれが」


きんぴら入りのタッパをまた保冷剤で挟んでいると、低い声が格技場に響いた。


「おれがどこまでも強くなりたいのは、おれがどこまでも弱ェからだ。

 あいつの親父と、……コウシロウ先生と約束したのに、この有様だ。

 おれァ本当に、てめェにとんでもねェマヌケさらした。……悪ィと思ってる」

「おう」

「おまえはおまえだ」

「だな」

「そしておれは、あのときのおれのままじゃ、ない」

「ゾロ」


「行くぞマユゲ。さっさと煙草消せ。

 ……こんな旨ェきんぴら、くいなも食ったことねェだろうからきっと喜ぶ」


纏う空気が変わった。

吹っ切れたというか、進化したというか、やはり高校生男子の再生力というのは凄まじい。

おれァてめェにもガキみたいな弱さがあるって知って、むしろ愛おしいと思ってる、とは言わなかった。沽券に関わる、というやつだ。

鬼神か剣聖かと噂される奇跡の高校生は、とんでもない過去を乗り越えようともがく、ただの十六歳だ。

おれが支えてやれるなら、どんなに。


月明かりに照らされる横顔が、未だ誰のことを想っているのかは明白だったが、今さらだ。

故人にはなかなか勝てないというのが定石ではあるが。

これから気長に、この男の中にある米粒ほどの恋心、それをおれが洗い直して、やわらかく炊飯して、一口ずつおれのものにしていけばいい。

ゾロはさっさと竹刀を片付け、とっとと着替え、ちゃっちゃとカバンを担いだ。

自転車のペダルを踏むのは、今度は27.5センチのナイキだ。

高校一年生とは思えない、ごつい肩に遠慮なく掴まる。二人乗りなのにとんでもないスピードが出て、それが可笑しくて仕方ない。

目の前に芝生のような短髪があって、それが生意気にも肩切る夜風になびく。

たまらない気持ちになる。

おれは今から、宣戦布告をしにいく。変わりきんぴらとあちこち痛む身体を携え、愛すべきレディに、宣戦布告だ。

盆には少し遅かったが、くいなちゃんはまだそこにいるだろうか。


とりあえず、ゾロが信じられないほど道を間違えるので、芝生のような短髪はなんどもおれにはたかれた。

月が背なからついてきた。

シナモンドーナツのように、真ん丸な月だった。






「うおおおおおあまずっぱいいいい」


とりあえず回想が終了し、永遠に封印されるはずだった四冊目を抱えて悶絶した。

五年前の、いたいけな記憶だ。ゾロにしろおれにしろ、なんとも可愛らしかった。

あのあとゾロは、墓前に五分ほどきんぴらを供えたのち、おれの許可も待たずくいなちゃんの父親のもとへと持って行った。

生きてる人間に食ってもらうべきだ、とゾロは言った。

コウシロウさんは、何も言わずに食べ終え、ゾロのように美しい姿勢でごちそうさまを言ってくれた。今ではうちの店の常連さんだ。

ゾロとおれは、秋を迎え冬を迎え、二年生になり、大会をまた三つ重ねて。ゾロはやはり日本一の高校生になり、おれはマネージャーをしつつゼフの店の手伝い に明け暮れていた。

そうして、そして。

レシピノートの表紙に「9」とでかでか書かれたころに、…おれたちの関係は少しばかり変化を迎えた。


「はーいやいやいやあれなんつうの黒歴史つうのかね、とりあえずこのノートはまた封印しておかないと…」

「ンだこれ」

「ぎゃああああああああ」


ひょい、と黒歴史をつまみ上げる指がある。

目下話題の人物が帰宅したのだ。突然のことで思考が止まる。

左手には、野菜やら何やら詰め込んだ重たそうなスーパー袋を軽々と提げている、おれのおつかいはつつがなく終えたらしい。

剣だこの武骨さは、あのころよりもずっとふてぶてしく成長した。


「ぞ、ぞぞぞゾロっ、お、おけーり!おつかいご苦労!迷子ならなかったか?ははっ、あ、ノートな、そ、それ、いま使おうと思ってたんだー、だから返せ、 な?

 蹴られたくなければ返せ速やかに」

「……『焦がしたカラメルよりも苦い』…」

「やめろおおおおお鬼かァァァァ」


ゾロはどさりと荷物を床におろすと、かしましく悶え続けるおれを後ろから抱え、ポエム朗読をはじめた。

んだこれ、煙草で穴あけたのか?とふてぶてしい人差し指が、焦げて穴の空いた箇所を楽しそうになぞっている。

刺されても文句の言えない行為だと呪いながら、心底楽しそうなゾロをありったけ睨む。


「くっく、しっかし、あのころからてめェはおれが好きすぎてどうしたらいいんだろうな?」

「うっせェハゲマリモだまれ」

「久々にきんぴら食いてェなァ?」

「やめろオロすぞ」

「……なァアホコック。おれァいったいいつから、てめェにオちてたんだろうな」


言うと、おれの煙草をあっさり取り上げ灰皿に押し付けた。勝手するな、と眉を寄せるが、親指でそこを揉み解すようにされる。

そのままひょい、とおれを肩に担ぎ、にんまり笑ってベッドに直行する。

あの頃よりも少し長めに整えられた緑髪がそよぐのを、うらめしく見る。


「おれァ多分、はじめっからだ。

 そのきんきら頭、なんとかおれのもんにしたかったのが肚ん中だったのに、あんなつまんねえもんに捕らわれてた。

 二年半、もったいねェことした」

「ど、したんだてめェ、よ、酔ってんのかおい」


この男は、警察学校に入り、警官になり、それでもって剣道を続けている。(二十歳から出場できる剣道全国選手権、いわゆる日本一強い男を決める戦いに、二 十歳ちょうどで優勝してしまい世間を騒がせた。今年は二連覇がかかっているらしい)

ちなみに、おれの同居人でもある。十か月の警察学校の寮生活を終え、警官となった今はレストランの二階にあるおれの部屋に居候しているのだ。(キッチンつ きのおれの自室は、広さにして20畳ある。育て親のゼフは本当におれに甘かったのだ)

さらに言えば、恋人、というかなんというか、まァ高校三年生の秋に、ようやく押し勝ったような感じだ。


誤算はと言えば、


「誕生日くらいいいだろ」


おれが押し倒す方ではなかったという絶望的事実と、


「……おめでとう。おまえとこうなれて、本当に良かったと思ってる」


開き直ったゾロがちょっと戸惑うようなたらしだったことくらいか。

あっさりベッドに投げおろされると、二年半前よりも格段に技術の上がったキスが、口から始まって首やら髪やらいたるところに降ってくる。

ときどき、頑なにノーマルで、健全に少年だったころのゾロが懐かしくなる。


「ン、やめ、だめだ、ウソ…プと、ルフィ、ナミさんた…ち、も、来ちまう…ッ、

 仕込みしねェ、と…ッ」

「おら腰上げろ、……今年くらいはおれと二人でもいいだろ」

「ばぁ、か、…ナマ言ってんな、まじでもう来ちゃう、あ、あっやだ、うぁ、離、」

「お、開いてきた。ゴム貸せ。……こんなんしといて料理できるのかよ?あ?」

「ぃああっ……!」


いああ、じゃない。ベッドサイドの時計はきっかり六時を指している。

ウソップや、高一の秋から仲良くなったルフィやナミさんは、その後ずっとつるんでいる大切な友人だ。

彼らは七時ちょうどに、笑顔の祝福とおそらくはプレゼントなどを引っ提げて、おれのへやのドアを開ける予定なのだ。

あと一時間で、あれやらこれやら色々準備しなければならないのだ。

ならないのだけれど。


「腰上げてろって、…

 ……!?てっめ何泣いてやがる!?」


ゾロがおれを、欲しがる今現在のこの幸福は、奇跡の上に成り立っていると。

片思い時代の切なさや、あのころのレシピの愛おしさが、どうしようもなくこみ上げてしまった。

ぼろぼろと止まらない。情けないがどうにもとめどないのだ。

あのあと書き溜めたレシピノート、五冊目も六冊目も、甘い香りはちらともしない。この男の好む醤油の香りばかりだ。おれというやつは本当に。

…ああ、料理がしたい。


「ふっう、ゾロ、ゾロ……っ」

「てめェはほんとに……!」


自分の誕生日、恋人とのいいことの最中に、あほかというほど泣きじゃくるおれを、ゾロは(地の底まで響きそうな)ため息ひとつで許した。

破りあけたゴムをぽいと放り出し、その両腕でおれをぎゅうぎゅうと締め付ける(抱きしめる、と表記するには力配分がどうにもおかしい)。

ゾロの肩口に遠慮なく涙やら洟やら擦りつけておいて、永遠のような安心を味わった。


「…ったくしゃーねえな。携帯どこだ」

「ぞろ?」

「あいつらに連絡入れる。一時間ずらしてくれって」

「え、でも、ナビざんをお待だぜずるわげには…ッ」

「鼻かめアホ」


ゾロはベッドサイドのティッシュを無造作に二、三枚つまみ、おれの鼻やら目やらに宛がってから、本当にナミさんに電話をかけはじめた。

「だろうなとは思ってたわよ」などと、悟りきったような声が漏れ聞こえて、おれは死にたい思いでティッシュとともに毛布にくるまる。

「ルフィたちにはあたしから言っとくけど、…この貸しは高いからね」とも、…ゾロの苦渋の表情を、毛布の隙間から覗き見て、いたたまれないったらない。

見抜かれていたということだろう、つまりは、おれがゾロといちゃついて集合時間が押してしまうことを、あああ穴があったらさらに五メートルくらい掘ってか ら埋まりたい気分だ。

ごろごろ悶絶するのを、クイーンサイズのベッド(男二人が寝るということでこのサイズを購入した)が柔らに受け止める。


「ったくあの守銭奴悪魔め…」

「ナ、ナビざん悪ぐ言っだらオロすぞ」

「うるせェベソかき蓑虫コックが!てめェは黙って足開いとけ!」


オオカミよろしく襲い掛からんとするその腕が、問答無用に毛布を割り開くが、そのくせおれを傷つける気がまったくないような優しさで笑えてしまう。

かたちだけ見ればひどい言われようだったが、ジジィと同じくこの男はこのところ、本当におれに甘いのだ。

ベッドにおれを押し倒したそのときには、実際本気で、ルフィたちに来るなと連絡しようとしていたのだろうが。

おれが女々しくも泣いてしまったから、一時間の猶予をもぎとるにとどめ、料理を振る舞う機会を奪ったりしなかったのだ。

おれの願望を、おれよりよく知っている。


「どんな絶望的でもさ。あのときくいなちゃんに、宣戦布告しといて、ほんとよかった」

「あ?」

「おまえがそばにいない未来が、どうやっても想像できねェんだ」

「……アホめ」


ゾロはそれ以上なにも言わず、おれの口唇を齧るように吸った。

好きなように貪らせつつ、頭の片隅、


今日のパーティメニューにあの変わりきんぴらを加えようと、ぼんやり思った。






あわてて書きすぎて何が書きたいのかよくわからないんですが、
とにかくミリタリ二の腕と両翼にくそ萌えた勢いでここまできました
最後まで根気よくよんでくださった方、たいしたオチもなく本当にすみ ません

今さらだけどさんじきゅんおめでとー!!