きみがしんだ








大往生だと人は言う。

おれの二つ年下のきみ。

この年になると、二つの歳の差なんてあってないようなものだ。

でもあのころは、その二つの差はとても大きかった。


長いことおれはきみを弟のようだと思っていたし、

きみはきみで、幼い敗北感を味わっていたのかもしれない。

きみの知るように、おれはとてもきみを可愛がって、

間にいくつも小休止があって、倦怠があって、冷却があって、それでも可愛がりつづけた。

30歳を超えると、途端にぐるぐるして息苦しくなって、将来どうすれば自分たちは最も幸せになれるのか

真剣に考えてでも結論も出ず、

少し距離を置いたり、でも寂しくて暖をきみに求めたり。

40も間近になると本能といおうか、子どもがやけに欲しくなって

お互い、自分のファンと、ついでにお互いを泣かせて、結婚もした。

二人とも子どもや奥さんをとてもとても大切にしたと思う。

娘が生まれたので嫁にはやらんと駄々をこね、奥さんもきみも笑った。

きみのほうには息子が生まれたので、きみはもちろん野球をさせたがったが、

息子はサッカーにしか興味を示さず、きみはがっかりして、きみの奥さんやおれは笑った。

そのころにはすでに、個々で仕事をしていたおれたちは、

最年長の中丸が50を数えたのをきっかけに、

もういちどイニシャルを持ち寄って集った。

そこからはもう、しがらみだとか、過去のいざこざだとか、

そんなもの歳が歳だけにさっぱりと水に流れ、

とにかく楽しくて、心地よくて、あああと人生が80年あればいいとみんなで笑いあった。

きみはおれの隣で、少し低くなった声で歌う。

問題なかった、同じぶんだけおれも低くなった声で、きみに声を重ねる。

きみとこうすることが、こんなにも素晴らしいということを、もっと早くに気づけばよかった。

きみが若くておれも若かったころには、正しく作用しない見栄とプライドが、おれの眼鏡を大いに曇らせていて

そんな単純で画期的な事実に、おれの舌は触れようともしなかった。


人生は歳をひとつ重ねるたびに、前の年の倍速で回転していく。

あのころ。ずっと続くと思われた道、それが、遠くない将来、かならず途切れることを知った。

だからこそ、きみと歌いたかった。

きみの声がほしかった。

きみの夢がほしかった。

きみとの時間がほしかった。

きみがほしかった。

きみともっと、奥さんのことも、娘や息子、そのまた娘や息子のことも、話をしたかったし、

昔の話も、未来の話も、

きみとおれの話も、したかったんだ。

でも、








きみがしんだ。

























孫の手記





うちのおじいちゃんは、アイドルで

おじいちゃんなのにアイドルっておかしいけど、でもほんとで

いまでもおばあちゃんみたいな年の人たちが大騒ぎするような

そんなグループで歌っている。

そのなかで一番なかよしだった人が、昨日、亡くなった。


同じグループの人たちが大泣きするなか、

ロマンスグレーの髪を後ろに撫でつけて、とってもかっこいいおじいちゃんはにこにこと

テレビカメラに向かって笑う。


まずはファンのひとたちに、ありがとう。

そして関係のひとたちに、ありがとう。

かめなしさんには、だいおうじょうだったな。ありがとう。もうすぐいく。



おじいちゃんとかめなしさんは

きっと

きっととくべつだった。



おじいちゃんは

かめなしさんが亡くなる五日前、病院のベッドから、抜け出したいと無理をいったのを

驚くほどあっさり了承して

手筈をすぐに整えて

それからうちの離れにかくまって

丸一日、なにごとか話していた。

一度だけ、お茶を持っていこうとしたら、耳に入ってきたのは。

かめなしさんが「しんで」って言ったら、おじいちゃんは「しぬよ」って了承して

かめなしさんが「ばか、うそだ」って言ったら、おじいちゃんは「しなせてくれないの」、

かめなしさんは「むかし、おれを半年待たせたこと、実は根に持ってるから、おまえはあと何年も待っとけ」、

そしたらおじいちゃんは声を出して泣いた。

子どもみたいに泣いた。

そして、「ぜったい、まてねぇわ」と洟声が聞こえて

「ずるいな、じん」と小さく聞こえた。

それから、かめなしさんは「少し、満足した」と笑って、そのあとすぐに病院に戻ったみたいだった。

淹れたお茶は、誰にも口をつけられずに冷めた。



おじいちゃんはあのとききっと、今後一生分泣いたのかもしれない。

今もにこにこと、どこか愛おしむように、かめなしさんの遺影をただ見つめている。











あれ?幸せにするはずじゃ・・・
私最近こんなんばっかり