しあわせに
しあわせに
お前が、しあわせであるように
乞い、願うもの
弟がいると知ったのは、二十八年前。
側近の一人から教えられた。
あなたのお父様はほとんどは失敗なさらないかただったが、
たった一度だけ、芸者とのお遊びが過ぎましてね。
まだ幼いおれに、面白半分だったのだろう。
正妻である母の怒りを買ったその側近は、それ以来姿を見ない。
はじめて弟の姿を見たのは、二十二年前。
こっそりと影見した弟は、養父と幸せそうに笑っていた。
クソと形容のつくうちの親父とは大違いだ。
名乗り出る必要性は感じなかった。
引き取ろうと決めたのは、十五年前。
弟の養父の性癖を知ったからだ。
血気盛んだった当時のおれは、相手が一番屈辱を感じるやりかたで、
最愛の息子の目の前で、そいつを奪い取った。
「和也に手ぇ出してねえだろうな?クソホモ野郎」
囁いて、笑ってやった。
ちらつかせた紙切れに書かれていたのは、店の権利の主張でも差し押さえの命でもなく、
探偵に探らせた、養父の素性だった。
いくら世情に疎い弟でも、新宿二丁目界隈に男が入り浸ることがどういうことかわからないわけではないだろう。
「これ、ばらされたくねえなら、息子を差し出せ」
奴に殴られたおれはそれでも気分爽快で、
切れた口唇の痛みすら喜ばしかった。震えるほどの喜びを初めて味わった。
その感情は恋とか愛とか、そうではなく、さながら新しいおもちゃにはしゃぐ子どものそれだった。
弟は、和也は、おれの手を掴んだのだ。
おれは少しずつ少しずつ、弟を懐柔した。
もちろん弟は、自分と目の前のヤクザとの間に血のつながりがあるなど夢にも思わないだろうが。
おれのほうには、彼に優しくする理由があった。
弟、なのだ。おれの、たったひとりの。
まるで老人が幼子にそうするように、菓子をやり、小遣いを渡し、甘えさせ
父親に会いたいというそれ以外の望みなら、なんでも叶えてやった。
弟のほうも、少しずつ、日々、わずかにではあるが、おれに心をひらいた。
頑なだった態度も柔らかくなり、笑顔も見られるようになった。
おれはもともと、自己中心的であまり人の機嫌をとるのは得意でなく
不器用で不真面目な思い遣りしか与えてやれなかった。
が、弟は十分に、それも察してくれたようだった。
おれなどよりよほど人間ができている、などと自嘲するに時間はかからなかった。
やさしい、いとしい、かわいい。
たまの笑顔に、唐突に、泣きたくなる。
今まで親にも女にも誰にも、求めることのできなかった、愛、を
おれは全部、22年分全部、まだ18を数えたばかりの弟にすべてひっかぶせて、
弟の愛を乞うた。
それから一年して、弟はすっかりおれに気を許した。
当時はまだまだ分からないことだらけではあったが、反吐が出るような仕事にそれでも慣れてきた、
そんなおれを弟は毎日笑顔で迎え入れ、使用人より先にココアやらコーヒーやらを淹れ、
頭を、撫でた。
離れにほぼ軟禁状態ではあったものの、使用人たちとも仲良くなったようで、
屋敷のなかにはいつも笑い声があった。
古くからの使用人のひとりは、仁様がこんなに優しいかたと知らなかった、と正直に打ち明けてくれた。
おれだって知らなかった。
愛しいものがあると、穏やかに笑うことができるのだということを。
いつだったか、弟はおれの仕事のことを聞いてきた。
聡明な弟は、幾分尋ねにくそうに、それでも聞いた。
おれが苦笑すると、弟は「やっぱりいい。ごめん」と慌てて、その場から去ろうとした。
だから、その腕を引っつかみ、彼には痛いほどの力で握り締めた。
全部打ち明けた。
汚い組織、汚い仕事、汚いやり方、おれはいずれそこの、頂点にたつことも。
おれは罪悪感で死にそうになった。
今までの仕事を悔いるわけではないが、弟は、きれいだったから。
おれのそばで、彼が汚れることがいやだったのかもしれなかった。
しかし弟は別段、驚きもせず、
「そ」
と呟いただけだった。
それきり沈黙して、五分して、十分して、耐えられずおれが口を開こうとしたとき、
「つらかったね、じん」
頭を何度も撫でてくれる、細い手。
大人になって初めて、声をあげて泣いた。
おれはますます弟が大切で、どうしていいのかわからないくらいに、愛しい。
弟と暮らしはじめて、五年、六年、七年、外では日々の抗争で飛ぶように過ぎていく日々、
しかし離れの屋敷では時が止まったようだった。
おれの中で確実に動いているものには、気付かない振りをした。
ある日、弟が、もう随分と言ったことのない願望を口にした。
「父さんに会わせてほしい」
それを言われると、おれはひたすらに、弟に媚びるしかないのだ。
このおれが。外でのおれを知る誰それが聞いたら、腰を抜かすかもしれないような飴をやる。
ほかに欲しいものないか、だとか。今度、久しぶりにどこかに連れ出してやる、だとか。
でも弟は、分別ある大人の目をして、おれを見た。
「じん、ごめんおれ、だいぶ前から、知ってるんだ。」
「じん、おれの父さんは、寝ているおれを何度も、犯そうとしたよ。」
「じん、父さんがおれを施設から引き取ったほんとの理由は、おれをいいようにするためだった」
「寝たふり得意だから、知ってた。父さんは、・・おれたちは、親子のふりを続けてた」
「でもじん聞いて、それ、しなかったんだ。できなかったんだ。」
「あの人は、よわくて、臆病で、やさしい人だったよ」
じんと、同じに。
最後にそうくわえて。
「会って、ちゃんとお別れしたいだけ。」
弟の言葉をおれは丸呑み信じた。弟を送り出した。
丸呑み信じる、なんて。過去のおれで、どうしてありえただろう。
弟と生きてきた数年間は、おれを根本から作り変えたようだった。
弟は半日して、右の拳に痣をつくって、言葉通り帰ってきた。
一発殴って、ありがとうと言ってきた
おれに笑いかけるその顔に涙の痕があって、遮二無二抱きしめてやった。
弟はいつもと変らず、あたたかい。
気付く、
おれの中で動いてしまったもの
弟としてでなく、それ以上の愛を、やさしい弟の中に見出してしまっている
今までの比でなく
自分が汚くて
卑小で
淫猥な人間のような気がして
吐き気がした。
それからまた、何年もたった。
穏やかに狂おしく、屋敷での日々は過ぎ、外でのおれは当然のように死んだ親父の後を継いだ。
ある日突然、おれの体は欠陥商品になった。
機能の中枢である心臓がやられたのだから、お話にならない。
もって何年、だとかそういう話を、幹部連中や側近たちがしはじめた。
当事者のおれはなんとなく展開についていけず、曖昧に笑う。
おれの周りは急激に慌しくなり、回転し始め、恐怖だとかそういうものより先に、おれは
おれは。
「和也」
「じん、どしたの」
「お前に、謝らないといけないと思って、」
「なんで」
「ずっと、おれの勝手で、おまえを振り回し続けたことを、謝らないといけないと思って、」
「うん」
「でもゴメンナサイなんて性分じゃねえから」
「そうだね」
「・・・愛してる」
「・・・知ってる」
「・・・ずっと、ありがとう」
「なんで今、ゆうの・・・ッ」
聡い弟は、全てを察していたようだった。
弟は初めて、おれの前で涙を流した。
いつもは割りと、冷静で無感情的に振舞うことも多かった彼だから
おれは素直に驚いた。
「じん、」
「おれを嫌え。忘れろ。かずや、」
「じん、」
「ゴメンより愛してるよりありがとうより、言いたかった」
「じん、言わないで、」
「幸せに生きろ」
その後、半ば無理矢理、弟を抱いた。
はじめて性交渉をもったその肢体は、きらめくように美しかったが
手ひどく、身体に負担が残るような乱暴さで、抱いた。
弟は、抵抗して、おれを睨んで、でも、おれを包んでくれた。
それがたまらなくて、もっとひどくした。
もうこれしかおれには、弟を、和也を、守る術がなかった。
翌日、
弟の、十数年にわたるすべての記憶は改ざんされた。
旧知の仲の組弁護士は、そういった医術にも長けていた。
人を、弟の中に残るおれという人間の記憶自体を葬ることは難しい。
だから、思い出の一番最後を強姦という暴力で締めくくり、
それをとにかく弟の記憶の全てに強力に刷り込み、
「赤西仁という男は、最低な人間だった」
「常に性的な暴力に怯えさせられた」
「死んでよかったのだ」
過去をすり替えた。
山下は浮かない顔をしたが、
ああこれで。心置きなく。
車の事故ということにしたが、それが自殺に近いものだということは、弟以外の皆が知るところである。
ともかくも、
おれの世界は、終焉を迎えることとなった。
おれはお前を解放する
本来なら関わるはずもなかった、おれのエゴだけでおれの世界に引きずり込んだ
愛してる
愛してたんだ
だからお前を解放する
しがらみなく生きろ
すべて忘れろ
しあわせに
しあわせに
お前が、しあわせであるように
希う、お前が、しあわせであるように
えろくしようと思わなかった文が、えろくなってしまったことはありますが
えろくしようと思っていたのにえろくならなかったのは初めてです
スミマセン・・・
というかこんな展開でほんとすみません・・・
大半の方が「話間違えてるんじゃ?」と思われたとおもいます
最後なんかあんなのインチキですよね。ご都合主義だいすきですみません・・・
もっと、遺書かくシーン入れたり、死ぬまでの道程をもうちょっと感動的に辿ってもよかったんですけど
こういうネタはあまりそういうのを大袈裟にするとわざとらしくなるから
あっさりお別れさせましたすみません・・・
と言い訳する