あの頃、確かに彼はおれのmamだった。



ママ、だなんてもちろん呼んだことはない。

幼いながら、彼が死んだ親父の弟だっておれはちゃあんと理解していた。

彼はキレイだけど男で、男をママとは呼ばないってきちんと分かっていた。

ただ、彼だって十分に若くて、それなのにおれを育てるってどんだけ大変か、そこは全然理解していなかった気がする。



おれは三つで親父とお袋を亡くした。

幼稚園の入園式が済んだばかりで、おかあさんとはなれたくないだとかなんだとか、鼻をたらして喚いていた頃だ。

春が寝坊していたその年の四月は、寒い日が続いていて、桜だってまだまだ青かった。

ようやく、ようやく、おれが先生と仲良しになって、友だちを見つけて、大好きな絵本や気に入りの遊具もできて、桜も色づいて、そろそろ何もかもが満開というときに、
親父の運転する乗用車が、対向車線から乗り出した大型トラックに食い破られた。

助手席にいたお袋は、ばあちゃんちに預けられていたおれに土産を抱えていたらしい。

ラッコのぬいぐるみだった。(あとで和也が大事に、窓辺にかざってくれたから、そうと知った。)



葬式の日に、ばあちゃんが心臓を悪くした。

おれは親父とお袋がいなくなることを理解できていなかったから、そっちのほうが心配だった気がする。

ばあちゃんは親父のばあちゃんだった。つまりはおれにとって、ひいばあちゃんに当たる。

本当のばあちゃんやじいちゃんは、やっぱり親父や和也の若い頃に亡くなっている。

お袋はもともと、施設育ちで天涯孤独だった。

だから和也は本当に大変だった。本当に、大変だったんだ。

葬儀のことや、ばあちゃんの入院のこと、びゃーびゃー泣くばっかりのおれの面倒まで、一人で請け負ったのだから。

和也はだけど、ひとことだって弱音を吐いたりしなかったし、泣いたりしなかったし、おれにいつも優しかった。

和也はまだ高校生で、けれどそのときにもう芸能人だったから、事務所の人や知りあいなんかを頼りながら、全てをきちんとこなしていた。


やがて、おれのことについて親戚連中と和也が揉めた。

そこで、若い和也にどんな葛藤があったのか知らない。

おれはお袋のように、施設で育ったってなんの不思議もない子どもだった。

引き取らなかったからといって、まだ17の和也を誰が責められようはずもなかった。

それでも和也はおれを、自分のマンションに呼び寄せてくれた。

ほどなくしてばあちゃんが亡くなって、おれはなぜか和也の事務所の社長の、養子になっていた。

だからおれと和也の名字は違うのだが、そのことでも和也はだいぶ悩んだらしい。

おれなんか能天気だし、親父やお袋もそこにこだわらないとは思うのだけれど。

それに社長はおれに目をかけて、本当によくしてくれた。(今もそうだ)

金銭面でも助かった、子ども育てるのって金かかるんだな、と和也は今になって振り返り、笑う。


とにかく赤西の名前になって、それでもおれは亀梨和也とマンションで暮らした。

社長からのホームヘルパーの援助を断り、撮影やら歌の収録やらで忙しい合間におれの弁当を作り送り迎えをしてくれた。

園の誕生会にだって招待されてくれた。

周りのお母さんたちが大騒ぎして、おれの友だちだって大騒ぎして、どこからか噂が広まって、週刊誌に撮られたりしそうになったので、社長がいろいろと揉み消してくれていた。

いやあの頃は、育児休暇っつってだいぶ仕事セーブしてもらってたんだ、ホントに忙しかったらさすがにおまえ育てらんねえし、社長には頭あがんねえわ、と和也はうっとり振り返り、やっぱり笑う。


和也は少し変だった。

芸能人ってみんなこんななんだろうと思っていたが、最近気づいた、和也が飛びぬけて変なんだ。


雨の日にはマンション屋上の庭園に出て、たくさん水遊びをして、あげく雨水でシャンプーまでしてくれた。

雨は真水のようにきれいじゃないという周囲の声に、子どもをばい菌にまみれさせねえでどーすんだ、と和也は憤った。

だからおれは、雨だろうが嵐だろうが、泥の中だろうが虫の中だろうが、喜んで突っ込んでいく子どもになった。

雨の日に憂鬱になるだなんて嘘だと思う。

雨水で砂は泥になって、そこに足や手を浸すとこれ以上なく気分がいいことを、どうして世の人々は知らないんだろう。

下敷きやら空き箱やらをかざすと、雨が素敵な楽器の演奏者になることも。

雨水で濡れて、和也がいつもの三割増しできれいになることも。


嵐の日には、山ほどの風船を屋上から飛ばした。

風船はぐるんぐるんとジェットコースターのような軌道を描きながら吹き飛んで、和也とおれは腹を抱えて笑った記憶がある。


和也はおれにいっさい習い事をさせなかった。

その分、お絵描きやら創作ソングやら工作やらに全力で付き合ってくれた。

作ったものはデジカメでパシャパシャとっていた。

そのアルバムが残っているが、気恥かしくて未だに見れないでいる。


オフの日には、朝から海やら山やら連れ出した。

めちゃくちゃに遊んで、お昼には昼寝をするためにうちに帰る。

それから二人でゆっくり、トトロを見たりポケモンを見たり、捕まえた虫やかえるや、観察したりもした。

もしかしたら自分はもっと海や山で遊びたかったかもしれないし。

そもそもおれなんか連れて行かなくても、友だちや芸能人の仲間と行きたかったかもしれない。

さらに言えば、海や山じゃなくてゲーセンとか映画とかカラオケとか、服見たり酒飲んだり、今おれが遊んでるようなとこで羽を伸ばしたかったかもしれないのに。


和也の弁当作りの技術はどんどん向上した(おれが5歳になるころにはテレビ番組でその腕前を披露したほどだ)。

凝り性の和也は食材も作ってみたいと思ったらしく、おれにピーマンやらジャガイモやらプチトマト(自分は食べないくせに!)やらの世話をさせた。

屋上庭園をオーナーから買い取ったのは確かそのときだ。

不思議と自分たちで育てると、苦手だった野菜だっておそろしく美味しく感じた。

それらの世話を怠ると鬼のように怒った。

あとは、掃除とか、片付けたりとか、そういうのには厳しかった。

嫌がる遊びは絶対無理強いしなかったけど、挨拶とか身の回りのあれこれがいい加減だとめちゃくちゃに怒るのが和也だ。



そんなこんなで、おれは和也のおかげでこのようにふてぶてしく、それなりにかっこよく、一応はマトモな人間に育った。

和也はいつだっておれを褒めてくれる。

一応っておまえ、マトモに育つのって難しいんだぞ、兄ちゃんもお義姉さんも亡くなったのによくグレないで、こんないい子になってくれたな、おれ嬉しいよ。

最後に頬にキスをくれるのも、昔から。

おれもかずやのほっぺにちゅうする、とか言っていたのが小学生のとき、

欧米か!とはずかしまぎれに突っ込みを入れるのが中学時代、

今となっては口唇に仕返しする始末。

和也はそれでもどこか鈍いので、おまえも大人になったなぁだなんてのほほんとしている。危なっかしすぎる。



和也は二回結婚して、二回ともだめになった。

自覚はある、おれのせいだ。

いきなりコブつきだなんて、ハードルが高すぎるのだ。

やきもちだってやいていた。

まあようするに、相手にとっては可愛げのない子どもだったろうと思う。

最近では和也は、恋愛することもしなくなった。

それでもおれを放り出さないから、おれは和也の居心地のいい腕から離れられない。



だって和也はおれのmamだった。

照れくさかろうがなんだろうが、正直に言おう、mamでpapaで、おれをつつんでくれるライナスの毛布だった。

本当に感謝して、感謝して、感謝してもしきれない。

今度はおれが返したいのだ。

和也がじじいになってよぼよぼになっても、おれだけは最後までそばにいる。

だから社長に、うちの事務所に入らないか、と言われたとき、すぐには頷けなかったのだ。

芸能人の忙しさを十分に分かっていた。ゆったりと和也のサポートにまわりたかったのだが。

和也と共演できるドラマの話があると聞いて、決心した。

おれは和也を、芯から理解したかった。







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