歯車が狂い始めた、とおそらく、普通の恋人同士が主人公の、繊細で甘酸っぱい恋愛小説なら、そんな展開を迎えるのだろう。
だって今までは飽きるほどに一緒にいたのに、
おれは仕事が増えてきた駆けだし芸能人で、和也は多忙を極める有名芸能人で、突然のすれ違い生活まっただ中、
普通ならぎくしゃくしたり、今までの関係が壊れたり、焦ってどうにかなっちゃったり、それでさらにぎくしゃく、エトセトラ、エトセトラ、
でもそうならないんだ。
なるわけないんだ。
和也が和也のまま、おれを可愛がり続けているから。
おれにしたっておれのまま、和也を愛し続けているから。
たぶん、他人同士から派生した恋じゃないからだ。
おれたちは親子じゃないけど親子で、恋人じゃないけどもっと親密な二人だから、
これは一生切れないぶっとい縁だ。
ドラマは早くも最終話を迎えた。
久々にオフが重なった和也と、その放送を見た。
なんだか二人のオフ日がその最終話放映の日ということに、運命めいたものを感じるあたり、おれはただの子どもだ。
もちろんとうにおれの撮影は終わっていて、和也にしたって三日前にはオールアップだったのだけれど、
誰の計らいか何の気遣いか、最終話でもう一度繰り広げられたおれと和也の対決劇、
台本を読んで鳥肌が立った、
演じてみて胸と体がぼうぼう燃えて、
和也と対峙してその全ての熱を吸い取られた。
おれは和也の、というか主人公の殺人鬼の罠に嵌って殺されるという役どころ。(一番初めに対峙したあのシーンよりは、上手くやれたと思うのだが。)
そこへ駆けつける中丸さんと田中さんに、殺人鬼はついに取り押さえられ、しかし上田さんと田口さんの助けを得てさらに逃げて逃げ続けて、
冷酷な彼はそれでも、彼の中の正義を貫くために人を殺し続ける。
ぼろぼろになってそれでも、止まらない。
冷酷というのは、どういうこと。彼が演じたのはただの殺人鬼ではない。
山下さん演じる悲劇の主人公に、その周りの人間すべてに、
どころか、テレビ越しの視聴者皆に、正義の在りかと必要悪、冷酷であることは人間らしいことと同義であること、
社会風刺に和也なりの深い思惟を織り交ぜて、体当たり発信したのだ。
冷酷な殺人鬼は、当初の予想を大きく裏切り、世間にするりと受け入れられた。他の誰でもない、和也が演じたからだ。冷酷を額面通りに押し売らなかった、だから視聴者は、殺人鬼に少なからず自分を重ね、大好きな誰かや、大嫌いな誰かを重ね、そして同情すら抱いた。和也の作戦勝ちだ、といいたいが、
おそろしいのは、和也のそれはけして、作戦ではないところだ。
ただ演じるだけで、それが感動となり、ムーブメントとなる男だから、おれはとんでもないものと対峙したのだと改めて身震いする。
『それでも、おれはやさしい、人間でありたいんだ。』
山下さんの独白で綴られたラストシーン、その手には拳銃、対峙する殺人鬼、その手にはナイフ、やがて殺人鬼が何事が音を為そうとする様子、その口もとをクローズアップ、『あ』の形にそこが開いて、
さあ何を言うのかどうなるのかと視聴者の想像を掻き立てたまま、
一瞬でエンドロールに切り替わった。
「…っはあ、」
と思い切り酸素を補給して、ようやく自分が息を止めていたことに気付いた。
おれはたとえば、太宰作品を立て続けに読破した後のような、暗くてもどかしい興奮にめまいがしている。
きっと日本中がそうだろう、と思うのに。
隣の男はきゃっきゃと楽しそうに騒いでいる。
「やぁっぱラストのあの演出いいよな!?
あれ、サイショの台本には『やさしい君よ、さあ死ね』って書いてあったじゃん?ホン書いてるセンセには悪いんだけどさ、でもなんか安っぽくなっちゃうなって。
だからお願い攻撃して、ああいうふうに書き直してもらっちゃった。」
…いろいろと突っ込みたいところはあるが、まずはこれだ。
もうすぐ四十路に差しかかろうという男が、お願い攻撃をしちゃいけません。
「脚本家に、って…あの人に楯突けるのって、日本で和也くらいなんじゃないの」
「えー?皆が言うほど怖くないよー。可愛いおじさんじゃん」
おそらく今現在、文字通り日本一可愛いおじさん本人(おれ認定)が、はげあがった頑固じじいをも同類としたことに頭を抱える。
まだ続くエンドロール画面は、その脚本家の、いかにも頑固そうな長ったらしいペンネームを冴え冴えと映していた。
「ま、いいけど…。あっ、でも、息子同然だからって、おれのシーン増やしてとか、そゆこともあった?
最終話であんなおいしい役どころとか、おれ、もしかしてって、」
そうだ。聞いておかないと。なんだか駆け出しにあるまじき活躍ぶりだった、劇中の新人刑事。イコール、出演時間に比例しておれの知名度もあがったわけで。
和也が件のやり方で、おれをスポットライトの下に宛てがってくれたのだろうか?と思わないでもなかった。
ただくすぐったくて、そういうのは親ばかすぎるから、そうならもうやめてくれと言いたいだけで、別に深い意味のあった質問じゃなかった。
ところが、和也はおれへ向き直って、真剣な面持ちで、おれの名を口にした。
ぶうんと、暖房機が思い出したように唸った。撮影が始まった頃は蒸し暑かったというのに、最近はめっきり寒くなった。おれの背中もぶるぶる震えるのはそのせいだろうか?
「なあ、仁。」
「は、はい」
「おれは確かに親ばかだけど、おまえの為にならないこととか、おまえに胸張れないようなことは、絶対にしない」
「…」
「そんなこと、わかってると思ってたけど」
「…、か、かず、」
「ばか」
和也は少し泣いていた。
殺人鬼でもなく、ましてや冷酷とはかけ離れたところにあるおれのmamの、
人間味あふれる「ば」と「か」の二文字に、貫かれて殺された。
いやもう本当に、恥ずかしくて埋まってしまいたくて、申し訳なくて死にたかった。
そんな大事件があって、その日は別々の部屋で寝た。
それでも和也はおれのmamだから、次の日からはまた、元気に振る舞った。
というか、それでも和也はおれが可愛いから、次の日からはまたおれを溺愛した、というのが正しい気がする。
おれは和也に誠心誠意謝って、やはりまた和也を愛しく思う。
いつもどおりに朝食を作ってくれる。
お子様舌なおれの好みに従って、目玉焼きも半熟とろとろで、果汁百パーセントのアップルジュースもついている。
それをまるっと、おいしくいただいて、それで初めて、涙が出た。
和也は何も言わず、おれの口もとに垂れた半熟卵を人差し指で拭った。
涙のほうは、テーブルのあちらから身を乗り出して、唇で始末してくれた。
「じん。今日はいっしょに寝ようね」
昨日は久しぶりに、ケンカ用ベッドで寝たから、寂しかった、と呟く。
(普段は、クイーンサイズのベッドに、二人で寝ている。お互いケンカしたときだけ、どちらかがケンカ用ベッド(客間においてある)で寝る羽目になるわけで)
おれがうん、うん、と頷くと、和也はうそみたいにきれいに笑う。
ああそして、心底、和也が好きだと思うのだ。
これでおれたちには、肉体関係どころか恋愛関係もないのだから、
もう本当にわけがわからない。
こんな状態でおわっちまいますた
できてすらいねえ!!