綺麗なまほうつかいがおれを掬い上げてくれた。






おれはみずたまりの中に棄てられていた、ただのこどもだった。

このあいだまで存在していたはずの両親は、おれをここに落としておれの世界から消滅した。

おれの世界は小さなみずたまりのみで、時折そこを通る人々はわざとらしくおれを避けた。

そんなおれは何もかもどうでもよくて、きっともう死ぬんだと自分で自分の予言をしていた。


でも幸いなことに、おれはまほうつかいじゃないから、予言は当たらなかった。


通りすがった、ひとりのおとこのひと。

綺麗な黒い服が汚れるのも構わず、過ぎるほどに華奢な白い腕に泥まみれのおれを抱いてくれた。

服と同じに、どうかしたらそれよりずっと夜の色をした瞳が、じっとおれを見ていた。


まほうつかいはたった一言、興味無さそうに呟いた。



「おまえ、いくつ?」



おれは驚きながらもなんとかそれに答えなければと苦心した。

それはおれの人生において最初にして最大の義務だった。





「・・・ななさい。 ・・・たぶん」








のまず食わずの喉が焼けるように痛んだ。



























綺麗なまほうつかいはおれに、たべものと名前をくれた。





そのまほうつかいは、自分のことを一度もまほうつかいだとは言わなかった。

でもおれは馬鹿じゃなかったから、彼がまほうつかいであることを理解していた。

問答無用で彼の屋敷に連れ帰られたおれは、いきなり葡萄酒とパンと文字の書かれたカードを手渡された。

右手でパンにかじりつきながら、残る左手でまほうつかいに言われるままに好きなカードを選んだ。

彼はやっとすこし笑って、おれが無作法に掴んだカードを暖炉に放った。

暖炉はゆっくりと銀色に輝いて、おれが選んだ文字を並び替えて吐き出した。

まほうだ。

字の読めないおれは、その銀の炎にかたどられた文字が

カズヤ

と読むものなのだと教えてもらった。

宙に浮かぶ幻想的なそれを指差して、これはなに、と訊いた。

するとまほうつかいは事も無げに、


「え?これ?これ、たった今からおれの名前」


言ってのけた。

そしてそれから思いついたように


「あ、そんでおまえ、なんて名前?」






「・・・なまえって、何」






まほうつかいはまたすこし、ただ今度は困ったように笑って、名前というものの説明をしてくれた。

それからおれと同じ手順を踏んで、






おれにも、なまえをくれたんだ。























綺麗なまほうつかいが、おれの笑顔を取り戻してくれた。





あれからまほうつかいはおれを屋敷に住まわせて、助手として働かせた。

まほうつかいは昼になるとおれを抱いて眠り、夜になると仕事だといって色々な魔法を使った。

助手としてのおれは、実際はほとんど役立たずだったが、それでも彼は頭を撫でてくれた。

おれはどのみち昼が嫌いだったからそれでもよかったのに、仕事のない日は必ず、昼に外に連れ出してくれた、

ふつうの、こどもみたいに。


おれはそれでも、笑えずにいた。

おれは一応はその理由を、子どもながらに知っていた。

棄てられたこと、が、自分で思っている以上に辛かったんだ、わかっている、なのに。

ところが、

あたまとからだが上手く繋がらないせいだ、おまえバカだから、まあそれはしょうがないから今更気にすんな、

まほうつかいはなんでもないことのようにそう言って、不安がるおれを小突いた。


まほうつかいはそれでもおれに笑いかけてくれた。

ながくひとりぼっちで過ごしたせいもあってか、

まほうつかいは感情を表現するのが得意でなかったから、いつもというわけではなかったけれど、

だからこそおれにはその笑顔が、特別な宝物みたいに思えた。


まほうつかいが笑うたび、

おれはどうしたらいいのかわからないくらい

まほうつかいが大好きになっていった。



まほうつかいはよく、名前の話をした。

まほうつかいのもとの名前は、あまりに古くから使いすぎてもう忘れてしまったそうだ。

おまえを見つけてラッキーだった、けっこうセンスいいぞおまえ、おまえがつけた名前気に入ってんだ、

ほんと、「ゴリラ」とか「ダイコン」とかじゃなくてよかった、

まほうつかいはおれをベッドに招いて、いつものように頭を撫でながら言う。


「・・・かずやの名前、おれもすき。でも、かず、おれのことは、おまえ、ってばっかりいう・・・」


それはずるい、と心から訴えた。

自身がつけたおれの名を、まほうつかいが正しく言うのは稀だった。

彼はきょとんと目を見開いて、次にけたけたと笑い出した。


「次回からはベッドの中でそんな無粋な真似はしないようにするから許して貰えます、


・・・じん、くん?」




万年雪がとけていくみたいに

おれのこころはじんわりと溶けた。

おれはゆっくりゆっくり、長い時間をかけて。


彼の笑顔を吸い込んで、

自分のそれを取り戻した。


























まほうつかいがくれたものは、おれをひたすらに苦悩させるものでもあった。






おれの身長はぐんぐん伸びた。

もうまほうつかいのつむじが見える。

助手としても人並みにはできるようになったし、仕事を依頼してくる得意客とも馴染みとなった。

まほうつかいは知るところにないが、そのうちの何人かの女性とは関係すら持つに至った。


ななさい、と告げたあの日から随分と経っていた。

ベッドの中の、まほうつかいの腕の中はいつしか、居心地がいいだけのものではなくなった。





「じん?」


ある時、まほうつかいは訊いた。

あの日に彼がくれた、おれの名を呼ぶ。


「どした?」


彼は、あの日のままに彼だった。

彼は、まほうつかいだから。

おれと同じに年齢を重ねるのではなかった。

彼は、あの日のままに綺麗だった。



変わってしまったのは おれだ。




「そろそろ違うふとんで寝ようとおもってんだけど」


昔、まほうつかいの大事にしていた古い本を汚してしまったときを思い出した。

あのときも必死に言い訳をしていた気がする。

言い訳はいつだって、本音より饒舌だ。

対するまほうつかいが何も言わなかったから、よけいに焦った。


「違、あのさ、おれ抱っこして寝たりしたら、おれもうでかくなっちゃったし、かずや腕痺れるかなー、とか」


まほうつかいはやはりなにも言わずに、くるりとおれに背中を向けた。

黒い服がひらひらと夜に舞った。

そんな仕草すらたまらないのだと、どうしておれに言えようか。

彼はおれの父であり母であり師であり友であり、神だった。


世界の、すべてだった。

おれの手で崩すには素晴しすぎる、世界、そのものだった。



「知らねーと思ってんのか」


世界そのものであるところのまほうつかいは、やっと何事か呟いた。

華奢な肩と白い腕が震えている。

抱きしめたいような、それでいて縋ってしまいたいような、不思議な雰囲気は幼い日に視たそれと同じだった。


「なに、聞こえね・・・」

「ッおまえが、客と寝てるのおれが知らねーとでも思ってんのかよッ!」


拾われて初めて、怒鳴られた。

すぐに言い訳がばれた、本を汚したあの時だって、彼は仕方なしという風に笑っていたから。

頭を棍棒で殴られたみたいな衝撃だった。

羞恥とよくわからない恐怖とでおれは動けないでいた。

まほうつかいはそばに浮いていた魔法のクッションをおれに投げつけた。


「おれのこと、ヤになったんならそう言えばいいだろ!?おんなじベッドで寝んのも気色悪いって言えばいい・・ッ」



まほうつかいは、泣いていた。

「大人」の象徴だった彼が、こどものように泣いていた。


おれはもう、もう本当に、どうしようもなかった。





「きしょくわるいはず、ない・・・っ」





まほうつかいを折れるほどに抱きしめて、くちづけた。

そのまま馴染みのベッドになだれ込み、卑怯にも、驚きに固まる彼を思いの丈に任せて抱いた。

彼はいちどもいやだと言わずにいてくれた。






おれはずっと、雛鳥が親を呼ぶように、ただひたすら、

まほうつかいに


すき


と言い続けた。





























まほうつかいがくれたもの。






無言で悪行の後始末をして、部屋を出た。

すっかり日が昇っていた。

まほうつかいに合わせる顔が無くなったおれは、自主反省して台所で眠りについた。

おれがわるいことをすると時々、まほうつかいは台所でおれをこらしめた。

幼いおれにはこここそが、世間でいうところの押入れだとか縁の下であった。

しかしそれすらも遠い遠い日の、それこそ昔話のようだ。

笑いあったあの日々を再びこの手にすることは不可能なように思われた。

この屋敷を出ろとでも言われるのだろうか、それとも殺されるか。

彼に救われた命は、ここを出ても行く当てなどない。


ならばいっそ、恐ろしいほどに綺麗なその手で首を絞めて。


そんな倖せなことを考えているうちに、

眠りの沼のなかに意識が落ちた。







おれの双眸は長年の生活にすっかり調教されて、辺りが暗くなると冴えるようになっていた。

辺りを見回すと、ことことと鍋が音を立てている。

ああそうか、台所で寝たんだっけと痛む節々に思った。

途端、良い香りが鼻を掠めた。


「・・・りょうり?」


「やっと起きたか、じんのねぼすけ」



まほうつかいが、料理をしていた。



「へ、え、ななななんで!?」


料理は。彼は、料理は、できないのだ。

彼が面白半分で作った、料理と思しき物質が腕に噛み付いた記憶はまだ鮮明だ。

まほうつかいである限り、その両腕は魔法をしか作り出せないのだ。

台所に立つのはおれで、おれが来る以前は既成の食品を取り寄せていたと聞く。



「やめたんだよ、この商売。飽きたし」

「な・・・」

「おまえと一緒にジジィになってみんのも悪くないっかなーとか、」

「か、かず、」

「・・・思ってしまったんだから仕方ねぇだろこの性欲魔人!」


耳まで真っ赤にして叫ぶ。

おれはもうただただ、ごめんなさいと呟いて彼を抱きしめるしかできなかった。

何に対しての謝罪なのか、きっと、全てだ。


「・・・何謝っちゃってんの。いいよもう、昨日のことは」

「っ、も、二度としない・・・」

「・・・俺に内緒ごと作られるよりは昨日みたいにされたほうが嬉しい。」


おれの背中をぎゅうっと掴む、彼の指先が愛しい。


「あー、鍋吹き零れちゃうって!」


もう魔法でちょちょい、とかできないんだからさ。

続く言葉に思考が固まる。


おれが。


まほうつかいから、魔法を奪った。



彼は口ではなんと言おうと、魔法が好きだったと思う。

気に入った依頼しか受け付けない彼だが、魔法で人を幸せにするのが好きだったと思う。

おれも事実彼に幸せにしてもらった。

(ただしおれの場合、魔法そのものよりもそれを使うのが「彼」であるということのほうに比重があったが。)


それをおれが。



「っ、っ・・・」

「泣くなよー。だって、置いてかれるくらいなら一緒に死にたいじゃんよ」

「っ、でも・・・っかず、・・・!!」

「こら、泣くなっつーに!マジ泣いてる場合じゃねえんだぞ?」



この不況下で、新しい職探さなきゃなんだからな!



まほうつかいはお得意の笑顔でまたおれを魅了する。

少しも損なわれない、その存在の透明感。



おれは彼と一緒にジジィになる未来を想像して、

とてつもなく幸せに、なった。










が、




「・・・でも当分えっちはお預け。」




そう呟いた笑顔の彼の額には、ばっちり青筋が浮かんでいた。






























拍手文でしたー。

こんな中学生の好みそうな設定ばっかり好きになっちゃうんだぜ!