赤西はそのまま、ごめんとだけ言って亀梨から離れた。
そのあと、ひとことだって口をきかなかった。
放心状態の亀梨を残し、肝心の温泉にも入らずにさっさと床についた。
布団はとてつもなく離したし、帰りの電車だって指定席に亀梨を残し、わざわざ自由席へ移動して座った。
駅について、こちらをうかがうように距離を開けて自分を追う亀梨を、わざと背中で拒絶した。
傷ついただろうか。困惑しているに違いない。彼にとって赤西は、ようやく見つけた心許せるであろう友人だのに。
けれどそうしていないとこの人ごみの中、あの素晴らしい小説を生み出す右手をはっしと掴んで、歓楽街にでも連れ込んでしまいかねなかったのだ。
混乱していた。赤西が生まれて以来、おそらく一番の混乱だった。
はぁ、とため息は都会でも白いから、簡単に視界も思考も覆ってしまう。
帰宅して二時間後、メールが届いたが、開いてすらいない。
オタクと!~オタクと謎の勇気~
亀梨だって困惑していた。困惑しながらも、きっちり小説の続きは書き進めた。
いやむしろ、混乱した現実から逃避するために没頭して、いつもより良い出来なのではと思えるほどだ。
そのあたりに、亀梨のオタクたる所以はある。(最優先事項はいつだって、創作に対する熱の発散だ)
そうして、書くことで少しずつ、物語の中の「ジン」が笑いかけるたびに少しずつ、亀梨は落ち着き、頭を整理させていった。
ようやく古めかしいファンヒーターが部屋を暖めはじめて、亀梨はあのときのことを思い出す。
つい、五時間ほど前のことだ。あの雪の景色の中に、あの出来事は閉じ込めておけばよいのだろうか?
北陸の雪は冷たく重く、こちらとは違ってふわりとほどけたりしない。秘密をがっちり抱えて、漏らさずにいてくれるだろうけれど。
赤西を、自分は、憎からず思っている。それは確かだ。
赤西にしたって、キスをしかけてきたのは。
オタクで童貞で、恋愛遍歴と年齢が全く比例しない亀梨から見ても、あれは友情のキスではないと思われる。
これが、相手が赤西でなかったら。
ただのはずみとかからかっただけとか、罰ゲームで自分にキスしただけかもとか、色々考えるかもしれない。
でも亀梨は知っている。赤西がとてもとても、深く深く、優しい人間であることを。
そんな赤西がああいった行動に出るということは、罰ゲームではありえない。
優しい男だから、自分がホモかもしれないという恐怖や、亀梨を傷つけたのではという自責の念で、苦しんで苦しんで、ああいうふうに自分を拒絶したのではないのか。
思い立ったら、いてもたってもいられなくなった。
オタクにありがちな突っ走りとか暴走と笑われても構わなかった。
「よしゃ、いい出来!」
オタク亀梨の行動は常になく迅速で、そして潔かった。
すぐさまデータをメモリに落とし、母親が買ってきた頭陀袋のような鞄にそれを放り込む。
亀梨に、卑屈になっている余裕はなかった。
いつだったか、赤西当人にもらった、やぶれまくりのジーンズとわけのわからん外国人が描かれたTシャツ、それにじゃらじゃらしたアクセサリーを引っ掴む。
普段は重い腰を、これも赤西にもらったおしゃれベルトで吊り上げ、靴だけは2980円のエセナイキを履いて家を飛び出た。
赤西にすぐさまメールを入れたが、返事はない。
だがおかしなスイッチが入ってしまっているので、亀梨は気にしない。
仕方ないなぁと呟きつつ、これは初めてのことだ、赤西の家のチャイムを鳴らした。
寒さのためでなく指が震えているのに気づいて、そのとき初めて、緊張するのも忘れていたと思い至った。
深呼吸をした。息が白い。都会にも冬はやってくる。
赤西の弟は、それはそれは驚いた。
なんでかーちゃん家にいねーんだよ、つか兄貴が出ろよめんどくせーな、こんな時間に宅配便かよクソ、とかなんとか呟きつつ玄関に歩を進めると、
なんだかわけのわからない男がそこにいた。
ダサいカバンに高価そうなダメージジーンズ、分厚い眼鏡にクロムハーツのアクセ、なんだこのちんどん屋は、と目を瞠る。
「あ、あの、どなた様、」
勇気を出して声をかけたが上ずっていた。
でも相手は気にする風でもなかった、口角から唾飛ばす勢いでたずねる、
「赤西くん、いますか!」
「えっ、はっ、オレ?」
「あ、あ、あ、ちが!あの!じじじ、仁くん!おにいちゃんのほう!」
「あ、ああ、兄貴っすか!?ちょま、えと、あ、あにきーーーー!!」
混乱したまま尋ねられたその人を呼べば、んだようるせー、とアナグマのように兄が部屋から這い出てきた。
しかし、そのちんどん屋を見るなり脱兎のごとく部屋に舞い戻り、
「待って、あかにしくん!」
ちんどん屋のほうはちんどん屋のほうで、出迎えた家人を無視して兄を追いかける。
きかん坊二人も高校生になりおとなしくなった、この赤西家には最近ちょっとない騒動である。
何事か、ともちろん興味は湧いたが、深く首を突っ込むと実は根に持つタイプである兄の報復が怖いので、弟は早々に自室に引っ込むこととした。
赤西の混乱した頭はさらなる混乱を招き、もはや沸騰状態だった。
どんどんとドアを叩くのは、弟ではないことはもちろん分かっている。
分からないのは、対人恐怖症(自称)である亀梨が、どうして我が家に、しかもメールにこたえてもいないのに、ここに来たのかということだ。
あんなひどいことを、したのに。
なのに亀梨は、どうして。
「あかにしくん、開けてよ。がんばっておれがっ、無理やり開けてもいいけどっ、でもっ、そしたらあかにしくんのお母さんにおれ、怒られちゃうだろ!
だからカギ、自分であけて!」
ドア越し、切羽詰ったような声で、でも今まで聞いた中で一番の大きな声で、亀梨が叫ぶ。
しかしいったい、どういう理屈だ。
自分の言っていることをおよそ反芻できていないのであろうが、それでも亀梨は通常運転で可愛い。
それにほだされた形で、赤西の右手は理性とか冷静さを欠き、がちゃりと鍵を開けてしまったのだから救えない。
「あかにしくん!」
亀梨は痩身をするりとドアの隙間から滑りこませ、息せき切って、うるうるの瞳で赤西にしがみついた。
正直赤西は、その瞬間の亀梨の表情だけで、今後一生おかずに困らず生きていけるとすら思った。
変身の途中でCMに入っちゃいました、みたいなちんどん屋スタイルすら気にならなかった、
愛おしいとはこういうことかと赤西は深く納得した。
「もう一生、会ってくれないかと思った!」
「っ、ごめ、」
「おれ、オタクだからさ、わからないんだけどさ。
早口だし、女子には空気扱いだし、すぐ熱くなるしそれがキモいって思われててもやめらんないし、
おれ、おれってほんと、オタクで、しかも男だし、だから違うかもしれないんだけど」
「亀梨クンをきもいとかいうやつは、おれが殴っとく」
「…いやいやそうじゃなくて、いやだから、あのさ。…赤西くんてさ、」
なにかを決意したように、亀梨は赤西の目をまっすぐにみた。
しがみついたままの指先が赤い。寒かったのだろうと思う。赤西のやったTシャツは、今の時期にしてはえらく薄手だ。
「…おれのこと、好きなの?」
オタクらしからぬ堂々たる視線だ。
しかし、見とれるように見つめ返せば、途端に亀梨は動揺する。
「しょ、小説書いてきた!ジンをすっごくかっこよく書いたよ、だからあの、よ、読みたかったら!ちゃんと、こ、こたえて!」
赤西は思わず吹き出す。
小学生でももっとうまく駆け引きする、と思う。
でも目の前の不器用なオタクが、めいっぱいの勇気でおれとの関係をなんとかしようと真剣だから、
赤西も肚をくくった。
「…わかってんでしょ。好きだよ。すごく好き。
でも、もうあんなこと死んでもしないって約束する。
だからって、友だちやめたりもしねーよ?今まで通り、ばかやって騒ぎたいし、亀梨クンの小説も読みたいし。
…あんなことして、ほんとに、ごめん。
いつも通りに、もどろ」
つとめてゆっくりと、吐き出した。
それはとてもとても、つらいことだと赤西は自覚していた。
いっそ友だちとしても距離を置いた方が楽だとも分かっていた。
毎日亀梨のそばに居続けて、それでも手も出さずに笑い続けるなんて、地獄すらなまぬるい、というやつだ。
でもだって、ようやく見つけた友人を、赤西の身勝手な劣情のために失ってしまうなんて、亀梨が可哀そうすぎる。
亀梨に辛い思いをさせるくらいなら、赤西は甘んじてその生き地獄を引き受ける覚悟だ。
赤西はここ一番の笑顔で亀梨に笑いかけた。
同級生の女子なら、一瞬で腰が砕けてメアドを差し出してくるくらいの笑顔だった、
当然亀梨も赤西の決意と優しさにほだされ、
うん赤西くん、一生友だちでいよう、と涙ながらに手なんか握られるのではとすら思っていた、
…しかし赤西の予想ははるか斜め上に裏切られる。
亀梨は、きつく眉根を寄せ、眼鏡を投げ捨て、袖口にしがみついた指先を振りほどき、力強く赤西の胸ぐらをつかんだ。
赤西が、え、なに、と当惑する間に、
「大の男がぐちゃぐちゃ言うな!おれのこと、好きなんでしょうが!」
怒声が響き渡り、
「いつも通りに戻れるわけないだろ!おれをどこまで無神経なアホだと思ってんだよ!
アポなしで家まで来て、その上れおくんにまで変な目で見られて、会えたと思ったら鍵かけられて、
それでもこうして折れずに赤西くんと話してんのは、情緒たっぷりに“いつまでも友だち同士だよ☆”とか寒いことするためじゃないの!」
亀梨はものすごい剣幕でまくしたてた。
雪こそ降らないまでも、この寒い季節だのに、頭から湯気が出そうなほどだった。
憤慨の二文字もあらわ、その口調はまるで彼の小説の中に出てくるメカオタク・ドクターカズヤにそっくりだなあ、本人がモデルだもんそりゃそうだよなあとか、赤西は見当違いなことを思った。
「鈍感だし恋愛とかしたことないしでめんどくさいおれだけど、でも赤西くんがき、き、キスしてくれたから、ちゃぁんと気づいたんだよ。
おれだって好きだよ。すごく好き。友だちとしてよりも好き!
ぼっちのガチオタとイケメンリア充で、おれら釣り合わないし男同士だし前途は超多難だけど、
それでもどうやったら恋人同士になれるかとか、どうせならそっちをいっしょに考えてよ!」
メカオタクならぬ、ガチオタクである亀梨は早口で、しかも多少芝居がかっていたけれども。
それでも彼がぼろぼろに泣いていたから、今言ったことは紛れもない真実なのだろうとわかった。
中学生でもいまどき、といった横かけカバンから、やけくそのように取り出したUSBを投げつけられ、赤西の心臓の当たりにこつんと当たった。
いて、とだけ呟き、それを拾い上げようとかがんだら、USBに集中豪雨のように水滴が落ちたので、
赤西も自身が泣きまくっていることに気づいた。
「…好きでいていいの」
「い゛い゛に、ぎまっでる」
かがんだままの、ちいさなちいさな赤西の問いに、頭の上から、不格好な声がすぐさま応答した。
二人して、苦笑しようとして失敗した。
三分ほどはただただ泣いた。それがお互い、どういう種類の涙なのか、お互いに図り合う余裕もない。
ホモになっちゃったという後ろめたさもあれば、運命の恋への憧憬、それがかなったことへの喜び、驚き、夢心地。
ごちゃまぜになって、考えても分からないので、赤西は何があっても亀梨を守ろうと決意だけを固め、
一方亀梨は、泣くイケメンというのも美しいと、混乱のなかそれでも、心のカメラのシャッターを何度もきっていた。
「あ、あがにじぐん、泣いでもがっごいいね。
お、お、オダグは、泣ぎ顔もがっごわるいがらイヤんなる」
ようやく話せても、気の利いたことひとつ言えずに自己嫌悪する亀梨だが、
赤西はゆるく首をふる。
「亀梨クンは、かっこいいよ」
おれなんかよりずっと、かっこよかった。
赤西は自分のパーカーでその顔を拭ってやり、ただの真実を述べた。
「亀梨クン、勇気出してくれたでしょ。ここに来るのも、どきどきしたろうに。
その上、あんなこと言ってもらって、…おれほんとに、惚れ直した」
「あ、あかにしく…!」
素晴らしいムードのなか、
赤西の母親が量販店でお安く買い求めたヒーターが、時間延長を求めてピーピーいう。
愕然とした亀梨の表情に、赤西が泣きながら吹き出す。
そのうち亀梨も困ったように笑い出した。
恋愛っていいなぁと、
恋愛初心者のオタクも、場数だけは達人級のイケメンも、同じことを思いながら笑う、1月の夜だった。
信じられないほど放置プレイですみませ、続きをようやく拍手にアプできました…アアア…