どうしようどうしようたまらないどうしよう、
赤西は頭を抱えて悶えるしかない。
右手に蟹の足。
左手に手拭い。
視線の先には、湯上りの濡れた髪、しどけない浴衣姿の亀梨。
二人の距離わずか一メートル、目の前にしこたま料理を並べられた御膳をひっくり返して乗り出し、
亀梨を掻き抱いてしまいそうになるのを必死でこらえ、赤西はまた他愛もない話を振る。
亀梨が笑う。
髪の雫がぽたりと、彼の鎖骨へ滴る。
そしてまたしてもどうしようと身悶える無限ループ。
オタクと!~オタクと温泉~
「ね、温泉いかない?」
ちょっとそこまで、みたいな口振りで、赤西の母親は切り出した。
ババアまじでいかれたか、と思ったがそれをあっさり口に出してしまうような反抗期は通り過ぎていたので、
「え、二人で?いかねえけど」
赤西はさっぱりと御断りをさせていただいた。
「バカね、あたしとアンタで行くわけないでしょ。
一泊旅行ご招待ってのが懸賞で当たったんだけど、
婦人会の旅行と日が被っちゃって。
お父さんは仕事だし、だからアンタ、彼女でも友だちでも誘って行ってきなさいよ」
母親はばりんと煎餅を齧り、ぴら、とチケットのようなものを提示した。
赤西は零れんばかりに目を見開いた。まさかの申し出だった。
おずおずとそのチケットを受け取る、不自然に指先が震える。
そのまま二階の自室に駆けあがり、ベッドの上に転がってその二枚を蛍光灯にかざしたり、にやけてみたり。
三日間はチケットを抱えたまま悶々と過ごした。
不純すぎる、とゴミ箱に二枚の紙切れを打ち捨てようとした四日目に、
亀梨から赤西へ電話があった。
動揺してチケットを握りつぶしてしまい、慌てて開いて丁寧に皺を伸ばしたところで、愚行に気付き赤西はがっくりとうなだれる。
九つめのコールで、亀梨は諦めたのか着信を切った。
赤西はさらに慌て、すぐさまかけ直し、亀梨が「あかにしくん」と嬉しそうにそれを受ける、
その一言であっさり舞い上がった赤西の、そしてそして第一声は、
「ね、温泉いかない?」
…赤西がゴミ箱に捨てたのは、自制の二文字だった。
男二人で温泉って、と渋る亀梨を、
いやまあ取材旅行(?)とでも思ってだの、おれの母親を助けると思ってだの宥めすかしてまで、
温泉地へと連れてきた。
我ながら必死さにちょっと引く、と赤西は自嘲する。
電車を乗り継いで、遠く古文化の街へやってきた二人だ。
どうやら結構有名らしいその温泉は、自身の地元近くであったことも幸いして亀梨も気に入ったようで、目を輝かせている。
異世界モノを書いているにも関わらず取材旅行という響きにすっかりほだされた亀梨は、
(小説の参考には到底なりそうもない)温泉地を撮りまくろうとデジカメを、何事か思いついたらと例のノートも持ってきていた。
赤西はしょうがねえなあだのと言いながら、
カメラ小僧そのものな亀梨を目に入れても痛くないほどに可愛らしいと本気で思っていた。
仲居たちも十分に指導が行き届いていて、オタクとイケメンの明らかに不審な二人組を見ても、笑顔のままなんの詮索もしなかった。
二人はとりあえずそれにほっとして、部屋で茶などいただいて。
仲居が去ってすぐ、亀梨は風呂に入ろうと満面の笑みだ。
温泉に来るのは実は、小学生のころ以来だったりする。
正直、ここまできたらとことんまで満喫しなければと亀梨は思っていた。
浴衣を掴み、湯あみの準備を整える亀梨に倣おうとして、赤西ははたと気づく。
いや、今まで考えなかったわけではない、むしろ考え過ぎるほどに考えた、そうだ、そうなのだ、湯に入るということは、
は、はだ、はだか、
「かめなしクン!
…おれ、ちょぉ腹の調子おかしいみたいだから、後にする。
でもさ、先はいってきていーから。
そんでどんな風呂か教えてよー」
赤西は、二人で風呂になど入って冷静でいられる自信は皆無だった。
もったいないと歯噛みしながらも、自分の生理現象によって変態扱いをされるくらいならと涙を飲んだのだった。
亀梨はそれこそしすぎるほどに心配をして、薬もどこからか取り出して赤西に手渡し、
ちゃんと飲むようにと念を押してから風呂へ向かった。
悶々と一人、へやで亀梨を待つ間、正直二回は変な声を出した赤西だ。
不埒な妄想を、ぶんぶん頭を振り乱して掻き消そうと勤しむ。
そんな最中に、襖の向こう、仲居から突然に声がかかり、3センチくらいは体が浮いたと思われる。
「失礼いたします。
赤西様、お連れ様がお戻りになられましたら、お食事のご用意をさせていただいてもよろしいですか?」
「あ、は、はい、はいッ!お願いしますッ」
初体験を迎える童貞中学生のように震える声帯を、とにもかくにも叱咤しながら、幾分上擦って返事をする。
普段の赤西からは考えられないような失態に、カッコ悪、と自己嫌悪に陥る暇もなく、またしても襖に気配。
「あ、あの、まだ何か?」
そこにいるであろうはずの仲居におそるおそる問いかけると、
「?まだって?」
なんのこと?と想定より幾分低い声が響いて、やはり4センチは体を浮かせる羽目になる赤西である。
すぱんと襖が開いて、そこから表れたのはもちろん、
「か、めなしクン!」
タオルで髪を拭き拭き、慣れない浴衣をとりあえず身につけ、湯上りの頬はつやつやの水密桃の色、
そんな亀梨がすっと赤西の前に正座して、おもむろに赤西の額に手をあてがった。
「お先お風呂いただいたよー、お腹の具合どう?熱とか風邪からくるものかなぁ?」
「や、いやっ、も、もう全然、あの、痛くな、」
亀梨は赤西の仮病を真剣に心配し、平素の赤西ならばそれに心痛めるところなのだが。
立ち上るなんともいえない湯上りの雰囲気と、触れている手の熱さと、さきほどの台詞の新婚ぽさに、
後ろにひっくり返らないよう上体をコントロールするだけでそれはもう、精いっぱいだったのだ。
ありがちに温泉名のプリントとかじゃなく、灰白の地にさらりと七宝文様をあしらった浴衣は、よく亀梨に似合っていた。
香水でも、化粧品のそれでもなく、控えめな石鹸の香りだけを付き従えて、それがどうにも赤西の鼻腔をくすぐる。
「あっと、あのさ、さっき仲居さんが、夕食用意するって、」
赤西は懸命に視線を亀梨から引きはがし、彼が置いていった眼鏡を探すふりをして温もった手から逃れた。
温泉に入る前からのぼせるところだ。
「赤西くん食べれる?」
「う、ん、大丈夫、」
眼鏡を差しだしながら、笑顔で答えた。
赤西の中でちっとも大丈夫じゃないのは、脳味噌の中身と下半身の一部だけだった。
拷問のように甘美な食事時間を終え、最高級の蟹を味も分からないまま租借して、
とりあえずは満たされた腹と飢えて枯渇しそうな煩悩とを抱え、
赤西は亀梨を見た。
「赤西くん?」
見て、やっぱり後悔した、なんでって亀梨もじっとこちらを見ていたからだ。
湯上りからこっち色づいたままの唇が、自分の名前を綴るので、
それだけでもう喉がぐるぐる鳴るという醜態なわけで。
けれど。
「赤西くん、お腹、ほんとに大丈夫だった?
お風呂やめとく?」
まだ自分を気遣う亀梨の優しさが、悶々とした男の性みたいな部分をふうふうと少し冷ましてくれた。
「あ、やー、もうなんともないから。
先寝てて?これから入ってくるわー」
「そう?」
外はもう、すっかり暗い。
開け放った障子の向こう、庭園がライトアップされて幾分も幻想的だ。
雪深い北陸、立派な造園の隆々とした木々が、真白く化粧をして頭を垂れる。
日本ていいなあとか、わずかに開けた窓、冷えた外気に少しだけ鼻先を浸して、赤西は思う。
吐く息が白い。
雪も白くて、布団も障子も、
ついでに言うならちらりと見えた亀梨の鎖骨やらうなじだって白すぎてびっくりする。
日本ていいなあ、と今度こそ口に出して、窓を閉めた。
吐き出した二酸化炭素と一緒に、不埒な考えも外へ閉めだした、
そのつもりだった。
一方の亀梨はといえば、
ファッション雑誌から抜け出してきたような男が、古風な旅館の、窓枠に身を預けて物思いにふけるさま、
それがあまりにも美しくて呼吸ができなくなっていた。
もともと、本当にかっこいい顔をしているとは思っていたが、
いっそ彼に不釣り合いと思える純和風のこの部屋に、驚くほどに赤西は映えた。
はあ、と白く息を吐き出す赤西の横顔に、思わずカメラやらノートやら取り出してしまいそうになる。
切り取っておきたかった。
このひと場面を自分の箱の中にしまっておきたかった。
なぜこんなに、今日に限ってこんなに、そう思うがよくわからない。
赤西くん、と呼びかけるのもためらう。
ためらった理由もわからなかった。
しんしんと雪が降るのを、視界の隅でとらえる。
「亀梨クン?ごめん、寒かった?」
不意に声をかけられ、亀梨は掛け値なしに飛び上がった。
目を泳がせてしどろもどろになりながら、あ、とかう、とか言うしかない亀梨に、
いつものことと特に気にとめたふうもなく、赤西は笑う。
「じゃほんと、先寝てていーかんね。」
まだ湿ったままの亀梨の髪、それをわしゃわしゃかき混ぜる赤西の右腕を、
亀梨は思わず注視する。
「っだ、冷てえし!ちゃんと髪かわかさないと、かめな、」
注視して、捕まえた。
赤西が何事か言っているのだがさっぱり耳まで届かない。
末端冷え性のはずの両手指先が、温泉の効能か別の要因か、煮えたように熱かった。
綱引きの要領で力の限り引いた。
赤西の体がほとんど硬直したようにして亀梨のほうへ倒れ込んできた。
「え、ど、どうし、」
「あ、え、おれ、なに、なにして、あの、」
二人して混乱に喘ぎつつ、先に何かを決心したのは亀梨だった。(何を決めたのかすら、判別の付かない決心だったが)
ごくりと飲み込んだ唾が、苦くて甘くて熱くて、猫舌の亀梨には痛かった。
「あ、あの、ごめん赤西くん、何かって言うと、あの、」
「う、うん?」
「こ、この手で、この手…っ」
「え、へ!?て、手が、手がどうし、」
掴まれたところから火がついたように熱くて、赤西は目を回す。
かろうじてそこを支点にして、倒れないようにするので精いっぱいだ。
手が、手が、何だって。
手で、どうしてほしいって。
どうしよう、どうすれば、
「た、タオル!あの、おれ、下手だから、あのその、
・・・ふいて」
亀梨はぶるぶる震えながら、タオルを差し出す。
寒いからではない。
今までこのような状況に縁遠かった亀梨に、それが緊張のためだと理解するのは難しかった。
「あ、たま?拭いてほ、しいの?」
「うん」
もう亀梨自身にも、行動の理由がまったく分からなかった。
なんだってこんなことを、親友と崇める同性男子に懇願しているのだろうか。
髪拭くの下手ってそりゃどういうこったと、冷静になれば猛烈な突っ込みを入れるところだったが、
タオルを受け取ってもらえた幸福感にただ浸るに留まる、
さながら野球部マネージャー志望の少女のようだった。
赤西はといえば硬直から解けないまま、
タオルを亀梨の髪に宛てがって、
「…おれたち、なにしてんだろーな!」
「亀梨クン、話づくり上手なのに、こーゆーの不器用なの!?」
「てかせっかく、きれーな髪なんだからちゃんと拭かないとハゲちゃうって」
「あーも、早く風呂いこーと思ってたのにさー!」
「ドライヤー、脱衣所になかったぁ?やーでもこーゆーとこのって、ばっさばさになっちゃうよなぁ…」
常にない早口で捲し立てる。
それでいて、口調とは真逆に、まるで乳児にそうするようにして拭うのだった。
赤西が努めて明るく、うるさいほど話すのに、
「ねえってば、亀梨クン、」
亀梨は俯いたまま何も言わない。
言えなかったのだ。
拭う手が心地よすぎて、呆けてしまっていたわけだ。
ところが、優しすぎるほどに丁寧な清拭は、
前触れなくぴたりと止んだ。
「・・・亀梨」
聞き慣れない低音。
初めての呼称。
弾かれるように、亀梨が顔を上げる。
室内は蛍光灯が自己主張し、健全ここに極まれりといった明るさで。
間近に見た端正な顔立ちが、煌々と照らし出され、亀梨は息をのむ。
一歩、窓際へ、にじり寄る赤西、
必然亀梨は一歩退く。
「ねえ、亀梨。」
「あ、かにし、く」
ずり落ちたタオルがぺしゃりと、足元の畳を覆う。
また一歩。
赤西が目を眇めるのを見て、知らない人みたいだなぁと思う、
さらには(覚醒後の「ジン」はこんな感じなのではないか!)と思考を飛ばし、
やはり亀梨は根っからの創作オタクであった。
「ねえ、ほんと、なに、かんがえてんの」
さらに、一歩。
亀梨の肩がひやりとして、つまり窓のガラスに触れるまで追いつめられたわけだ。
混乱しつつも、さすがにこの状況で「小説のことを考えていました」と告白するのはお門違いだと合点し、
やはり何も話せなかった。
ぱくぱくするだけのその唇に、赤西は人差し指をからめる。
「いいよ、ここ、喋らなくて。おれももう、しゃべんないし。
おしゃべりじゃなくて、もっと違うこと、
させて」
それってなぁに、と亀梨が馬鹿正直を口にする前に、
長い右手指がそこをあひるのようにつまむ。
なにすんの痛い!と亀梨が無知をひけらかす前に、
空いていた左手が亀梨の背を窓から引き剥がした。
窓枠の結露に濡れた浴衣ごと、抱すくめられる。
「ああ、可愛くて死んじゃう」
右手から唇が解放されたと感じた途端、亀梨は、
とある衝撃に思考停止の憂き目にあった。
彼のファーストキスは、
17歳の冬、ムードある温泉、良い感じに夜、湯上り、
オタクには縁遠いかと思われるような完璧なシチュエーション。
唯一の誤算は、
相手が魔法が使える美少女でも、未来から来たお姉さまでも、麗しい幼なじみでもなく、
自身の小説のモデルにもなっている
同級生の男子であったことだった。
とりあえず温泉編おちまい
これも長いこと拍手トップに居座っていたなぁ…