長い長いひとさし指の、硝煙の匂いの染みた爪が指し示す、その先へ、先へ。
おまえの望むように、思い描くように、そうありたいと思うのに。
プランbee
はあ、とアルコールに浸食された息が、おれの左耳あたりに不快を届ける。
これは何、と胸やら下腹やらを高価なスーツの上からまさぐられ、
分からないんなら辞書でもくれと茶番を内心嗤いつつ、
下品な期待に応えるべく卑猥な回答を差し出せば、
ほんとうにいやらしいと、ますます標的の興奮は増すばかり。
弾かれた髪留めが視界の端でゆるく発光する、起毛の絨毯の上を髪が滑走する、それを相手がおもむろに掻き上げる。
現れた右耳、そこに撃ち込まれたピアス、飾りのでかいブラッドストーンではなく、留め具の部分にマイクが仕込んである。
老猿はあっさりと、そこを舐め啜った。
「ここだけどうして、安物なの」
聞こえてきた睦言に、仕込みマイクは最高級だが、と言いかけてはたと気づく。
「石のことかぁ?ただの誕生石だぁ。おれ三月生まれだから」
「誰かからの贈り物かな?ヘリオトロープは低価だが、太陽に向く、という意味を持つ素晴らしい石だ」
「…へえ。そんなん知らなかった。」
ひけらかされた雑学に、ほんのわずか心動かされた。
おれの太陽は、何年も前からたったひとつだけだ。
おれの泳ぐのは塩辛い海でなく、いささか乱暴に身を焼く太陽を携えた、あの大空だけだ。
明確に文章化されてそう考えたわけでなく、なんとなく哲学めいて、そんなようなことが胸にはためいたのだ。
それでもって、やっぱりザンザスは頭がいいなぁとお門違いなことを思う。
だって、太陽に向く石のもと、ザンザスがおれの働きぶりを覗いているのだから、だったらおれは絶対に失敗したりできないわけだ。
刺し違えたって、望む情報を口にくわえて、太陽のもとへ戻らなければならない、そういうわけだ。
そう思い至れば、ああ、ますますもって、おれの下腹部はスラックスを押し上げるからひどいことだ。
「送り主は、誰なんだろうね、妬けるねえ?」
さても、しゅるしゅると器用にネクタイが解けて、ボタンが過ぎるほど丁寧に外され、
猿は酔っていても老いていても、その指先に寸分のぶれもなかった。
絨毯の上、抜き去られたネクタイが、蛇のようにこちらを睨む。
老猿は、口調の割に上品が過ぎた。
それで、頭が冷えた。
零コンマ一秒、脳から末端への危険通達、
一気にアドレナリンが放出されるのがわかる。
これは道化だと、この男は食わせ物だと、
培われた経験と勘とが、太陽に眩んだおれの目を覚ました。
おれの裸の胸に、奴が拳銃を押し当てるのと、
おれが奴の心臓の真上に、髪に仕込んだ針を突き当てるのは、ほとんど同時だった。
「クソジジイ、役者にでもなれ…!」
「シニョリーナ、君の方はとても良い娼婦になれそうだよ。ああ、私の正体だが、どうだい、ひっくり返ったかい」
「…そうだなぁ、猿がピエロだったのは結構驚いたが」
「そのピアスの送り主、当てて見せようか?沢田綱吉か、ザンザスだろう?」
唇の端を歪めるだけにとどめ、答えるような不作法はしない。
そんなことも予想の通りとばかり、男が笑うと目じりの皺が深まる。いっそおかしくて仕方ないといったふうなのに、瞳の奥はまるで笑っていなかったが。
お互いの距離を詰めに詰め、一触即発、トリガーにかかる指がもうわずか、胸筋に埋まる針先がもうわずか、それでお互いジエンドの最悪の状況だというのに、
ああそれなのにどうしてだか、おれはこの男のことがとてもよく理解できた。
「…あの、黒髪の女が大事か。異国の、それも二十も年下の娘が」
瞬間、男は、纏う温度を二度ほど下げた。
この男は、自分よりも愛しく、命を懸けるべき存在を抱えているのだ。
だから理解できる。理解できるなら、支配もできないことはない。
「雪蘭は生きているのか」
纏っていた道化の仮面を脱ぎ去る、これだから素人は、とも思うが、
頭の悪い男ではないのだ、おそらくどうしたって隠しおおせないとわかっているのだろう。
シュエランという儚い異国の響きが、なんとも場にそぐわないように感じた。
「おまえが、おれの望むものを寄越すってんなら、返してやらねえでもないぜぇ」
中国の美しい娘は、今頃大切に、本部の安置所に保管してある。
余計なことは口には出さず、ただ事実をのみ述べる。
ドアの外で、ベルが待機している気配がする。ようやくもって駆け付けたか。
「この針は、あと1センチでおまえの心臓を仕留める。
だが別におれは、おまえやあの娘を殺したいわけじゃねえ。
おまえの持ってる、顧客リスト、もしくはその隠し場所を教えろ。
そうすりゃあまあ、おまえの組織からは追われるだろうが、おれはおまえたちを解放する、
そのあとは心中するなり、愛の逃避行するなり好きにしろぉ」
まくしたてる、
そのような振りをする。
「雪蘭は無事か、五体満足か?」
さきほどおれを組み敷いて、このような状況に持ち込んだ手際の良さがうそのようだ、
このように動揺し、ただ愛人の無事を願う無様な猿だ、
だけれども、おれだってもし万が一、ザンザスが捕らわれたとしたなら、どうなるものかわかったものじゃない。
形振りも構わず、駆け引きもままならず、右往左往するだけの無能になり下がるのかもしれない。
ああ、ザンザスが強い男で本当によかったと、やっぱりまたお門違いなことを思うのだ。
「てめえの質問におれが答える義務はねえ!
ただ知っておけ、おまえがおれを殺したり、言い逃れたり、勝手に舌でも噛むなら、あの中国女は死ぬよりひどい目に合うと」
ヒュウ、と口笛の気配はドアの外、もう死んでいるものをよくもまあというような意味合いか。
まったく任務中に、ベルフェゴールにはあとできつく言っておかねば。
だがおそらく、あの狂気の王子様は喜んでくれているのだ。
(おれは今回の任務で、房中術とまではいかなくても体を使って誑かすくらいはするつもりだったから、予定外の危機的状況とはいえ、そうならなかったことを、喜ばしく思ってくれているに違いなかった)
マイクの先のもう一人はきっと、部下の失態に苦虫を噛み潰しているだろうが。
「…おとなしく情報を渡すと思うか」
「渡すだろぉ?あの女の指を一本一本、送りつけてやって、気長におまえの返事も待ってもいいが」
「シニョリーナ、君を撃ち殺して、その雇い主に指を一本ずつ送れば、ボンゴレやヴァリアーのボスたちは気が変わったりはしないだろうか?」
「悪いがおれにその価値はねえ。馬鹿を言ってねえで、」
「…申し訳ないが、私はそこまでの馬鹿じゃない。まずはこちらの方法を試してからにしよう」
昏い目をして、浮かされたように男が口走る。
何を、と思う間に、トリガーにかかる指、それに力が籠る、
おれも相手の心臓を握ってはいる、しかし刺すわけにはいかないのだ、
おれの命よりも相手の持つ情報の方が、ボンゴレにとっては有益かつ優先だ。
右耳のピアスを思う。
最後まで不出来な部下で、申し訳ないとも思う。
昏く光る太陽のもとに、望むものを持ち帰ることもできず、剣での果し合いで死ぬのでもなく、ここで終わるのだ。
ザンザス、と知らず口にしていた。
老いた猿が、したり顔で笑う。
男は嬉々として皺を深める、
「雇い主は、そちらだったか!」
おれを食い破ろうとする拳銃、
「それがどうした」
耳に届いたのは、銃声ではなかった。