それがどうした、
ピアスのブラッドストーンが共鳴する、この耳に届くのは、
派手にドアの破られた音と、幻聴かと疑う、
ザンザスの声。
鼻腔に届いたのも硝煙でなく、ザンザス愛用のムスクだ。
長い毛足の絨毯の赤を踏みしめ、ザンザスがこちらへ歩み寄る。
ああ、素晴らしく赤が映えるだなどとこの期に及んで、おれも大概だ。
「うちの部下が贈り物をしたいというから、優しい雇用主であるおれが、
わざわざ届けてやったんだ。
ありがたく拾え」
無造作に何かを、男に投げつけた。
指だった。
女の、細く美しい、指が一本。
どうやら薬指らしい、豪奢な指輪が食い込んでいる。
「…ッ雪蘭!!」
胸に針を抱えた間抜けな格好で、男はザンザスにひれ伏した。
プランbee
そこからは驚くほど順調に事が運んだ。
動揺は最大値、標的はあっけなく陥落した。
すなわち、その指を握りしめ、ぺらぺらと情報を吐き出したのだ。
その段になると、沢田御大が自らこの部屋へ赴き、用済みの男はためらいなく始末した。
突き刺さった針を、笑顔のまま押し込んだのだ。
御大曰く、さっさと愛する彼女の後を追うのが幸せだろうとのことだった。
沢田の欲したリストは、男のぎらつく金色の奥歯に仕込んであった。
歯ごとそのマイクロチップを沢田に投げてよこすと、高価そうなハンカチに包んで、文字通り右隣にいた獄寺へと手渡す。
つつがなく、すべては終了した。
ザンザスは笑うでもなく、怒るでもなく、すべてを見届け、ただそこに居た。
沢田たちが引き揚げ、静かな部屋に空調設備のわずかな稼働音。
「最初からこうすればよかったのに」
ベルフェゴールが独りごちる。
死体と指と、抜き取られたネクタイと。
それと、ザンザスとおれと、それら全てを睥睨して、ベルフェゴールが言ったのだ。
「先輩がワザワザきもちわりいことしなくっても、よかったんじゃん?」
ふざけて砕いた口調とは裏腹に、笑顔がたいそう強張っている。まだ硬直も始まらぬ、死体の指から転がった拳銃を蹴り上げて掴みとり、玩具のように弄ぶ。
本当に、年齢と狂気に比例せず、純粋培養の王子様だ。
こんなにわかりやすくて、かわいらしくて、やはりこの役目を負わされるのはおれでよかったと、今も昔もそう思う。
ザンザスは赤い目で、おれとベルフェゴールを見比べ、達観したようにため息をついた。
「仕方のないことだ。あの女が標的にとって、どれほど価値があるのか、そこのところがハッキリしてねえ状況だったからな。
カスザメは色仕掛けも交渉も呆れるほどに稚拙だったが、まあ中国女への執着を引き出したのは良しとしてやる」
そりゃあどうも、とぼそぼそ言えば、主君はおれのみぎろりとひと睨み、子どもへの巧言にすぎない、それくらい弁えろとのことか。
つくづく、おれもこいつも、ベルフェゴールには甘い。
「まあとにかく、それを片付ける手配をしろ、ベル」
「…Si、ボス」
それ、と死体を顎で示され、不承不承といった表情の王子様はしかし。
手の中の銃をぽいと放り投げそこにナイフを二、三突き刺すに留め、
それで部屋から出て行った。外部待機のレヴィにでも連絡を入れるのだろう。
「…ったく、ありゃあいつまでたってもガキだなぁ」
「てめえがほとんど育てたんだろうが、カス」
呆れかえった顔をしたザンザスは、死体を思うさま踏みつけ、
それでもおれに対しては、お愛想程度に頭を殴るにとどまった。
ここまでのヘマをして、よくても気絶、最悪、手足の一本でももがれるかと身構えていたので、
おれはそれはもうアホのような顔をして雇い主を見たのだと思う。
「マゾ野郎が、これで不服か」
「…いや、あんたにしては冗談みてえに優しいと」
「おれをなんだと思ってやがんだ」
ザンザスは苦虫を噛んで潰して吐き出したみたいな顔をして、おれの髪を強引に引いた。
あらわになった右耳を、ただ凝視され、いたたまれずに視線を伏せる。
気に食わなかったのか、手綱か何かのごとく再度髪を引かれ、思わず苦痛を口にする。
やはりそれも気に食わない様子で、派手な舌打ちが耳の石を震わせる。
「ただの石だ」
呟くようにそう言ったあと、ザンザスは長く無言だった。
おれも主の動向が読めず、ただただ、ザンザスの“次”を待った。
互いの呼吸音が聞こえる。
かつてない静寂がおれたちの間に横たわり、戸惑うしかない。
ベルフェゴールはまだ戻らない。
引かれた手綱が、このまま導火線の役目をして、主の掌の熱でおれの頭が焼かれるのではなどと、いささかお粗末な想像まで致したところで、
唐突に“次”がきた。
「ベルフェゴールは、おれを鬼か悪魔か、いっそそういうふうに考えてる部分がある」
「…?」
「んで、てめえはてめえで、おれを神か始祖か、そんな扱いだ」
「…んなことはねえ。
ベルはあれであんたを尊敬してんし、おれぁあんたを敬ったりすんのは嫌いだぁ。知ってるだろぉ」
相手の意図がわからずとりあえず口を開いたが、おれではないような掠れ声で、おれこそがまず驚いた。
ザンザスはしかし相変わらずの能面で、ただ手綱にした髪を手放そうとはせず、
おれの耳朶をただ見る。
赤い目がとても、綺麗だと、場に似つかわしくないようなことをふと思う。
血とか、太陽とか、熱とか、そういったものにこれが似ているのだと思っていたけれど、違う。
血とか、太陽とか、熱とか、そういったものが、これに似ているのだ。おれの世界では少なくともそうだ。
これを神への信仰ととられたら、それはそうなのかもしれねえなと、五秒前に口にしたことと真逆のことをぼんやり考える、
「おれはそのどちらでもねえ。
ただの男だ」
ザンザスはおれの心を読めるくせに、それを遮るようにして、そういった。
脊髄反射で反論しかけて、えらく舌の根が乾いていることに気づく。
何かとても緊張していて、乾いた喉に張り付いて言葉も出てこない。
だから、ザンザスの続く言葉が、じっくり耳に入ってきた。
「てめえの過去に、他の男の手癖がついていても、それを死ぬほど、てめえも世界もおれ自身も焼き尽くしたいほど不快に思っても、
てめえがおれを神とやら信仰してやがるから、おれはただの鬼として振る舞う」
「んなこと気にしやしねえただの上司で、だからこんな任務にも涼しい顔でおまえを動員する、そんなふうに振る舞う」
「てめえがあのクソみてえなジジイに嘗め回されて腸が煮えくり返っていようが、その始末すら他人に、それもあのガキに、任せるような」
ザンザスが、赤い目を眇める。耳の石に視線は刺さったままだ。
無口な能面から、一転、つらつら吐き出される言葉の大群。
なにかとても、とてもとても、重大な、重要な、非常事態のようなことを、言われていると分かるが。
いかんせん、視線にさらされ続けた耳やら握りしめられた髪(神経は通わぬはずなのに)やらが燃えるように熱い、
それらに挟まれた(ザンザスいわく人より軽めな)脳のほうの回転が追い付かない。
「聞いてんのかカスザメ」
「聞いていたが理解できてねえ」
「…息をしろ」
「心臓がとまってねえのを褒めろクソ上司」
やっと声が出たと思ったら、やっぱりそれも掠れて、それでもってアホのような内容だった。
(本当に、本当に、とんでもないような内容に押し潰されて、そこに転がる死体さながら、心臓が止まってもおかしくないことだった。)
そうしたら、ザンザスは今日、初めて笑った。
いやこの八年において、このように、嫌味でなく、いつぞやの少年めいて笑ったことはなかったと思う。
ひとしきり、くつくつと目を細めて笑いあげ、それでようやっと視線をおれに合わせ、
「そこらへん殴りゃあ蘇生するか?」
言ってまた笑う。
なんだか腹さえ立つ。おれはこんなに、こんなに混乱しているのに。
「おれは!…おれは今の今まで知らなかった!」
「ああ。…っくく、心臓は無事か?」
「とりあえずはなぁ!!…おれは、おれは、あんたの気持ちだって、おれ自身の気持ちだって、ちっとも…」
「顧みたことはなかったな」
ザンザスはもう一度、そばの死体を人形のように蹴りのけてから、おれの頭を抱き寄せた。
抱き寄せた、と表現するよりほか、ないような体勢なのだ。
もとより仄暗い照明だったが、今は真っ黒で、すなわちそれは視界が遮られているということで、ザンザスの胸に隙間なく顔をうずめられているということだ。
必然、かがめる腰、足の突っ張る間抜けな格好の自分、
ザンザスの心臓の音が聞こえる、次いでその倍速くらいはありそうな自分の心音、
こちらはやはり、いつ止まってもおかしくなさそうだ。
「理解して、考えろ、これから、この先を」
「…わ、わかったぁ」
「だから息をしろというのに」
髪をぐしゃぐしゃと掻きまわされて、このように触れられるのは初めてだと気づく。
そうしておれは、息を忘れたもので酸素がまわらず朦朧としたまま、
なんとなく、あの転がった死体と、転がった白い指を思った。
感謝して頬ずりすればいいのか。
自分たちの末路として危惧すればいいのか。
だがすぐに、考えろと言われたのに、
ザンザスの体温とムスクがさらに頭を麻痺させて、
その上ピアスごと右耳を舐めあげられ、石のみを噛み砕かれて、
思考回路は機能完全停止の憂き目にあった。