おれたちは実は、二度もお別れの危機、というやつを迎えている。

あんなに、こいつしかいないとか舞い上がっておきながら、二度もだ。






うしろの席のあいつ ~卒業に際して~







一度目は、高校二年の夏だった。

進路希望調査の用紙を右手に、

大泣きして別れたいと叫んだ亀梨を、昨日のことのように覚えている。

ぶるぶる震えた細い腕すら愛しかった。

クーラーがごうんごうんいう、その人工の風に、金魚柄の涼しげな風鈴がちりりと揺れる、

亀梨のお母さんが五分前に持ってきてくれたオレンジジュース、グラスにぶつかる氷の音、

清潔なシーツと、亀梨のにおい、

こじんまりしたそこは、亀梨の部屋だ。

夕暮れの、赤すぎるほどにどぎつい赤、どでかい太陽が窓からおれたちを覗き見た。

いつもタンポポの綿毛のようなほわほわした男が、あんなに感情的になったのはあれが初めてだった。

保育士になりたかった亀梨は、もちろん子どもが大好きで、

体育の先生になりたかったおれだって子どもが好きで、

男女間で愛が育まれれば子どもがめでたく生まれるわけだが、しかしおれたちは男同士だった。

思いつめたらしかった。

おれじゃじんに未来をあげられない、だから別れたいと、

亀梨はほとんど振り絞るように言った。

それを受け、おれはいまだかつてないくらいに、

冷静に言葉を紡いだのを覚えている。

だってそんなこと、実はそれまで、何度だってシミュレーションしてた。

正味な話、亀梨と付き合って、一週間で乗り越えていた。

だって、自分の子どもはそりゃあかわいいだろうが、純白ドレスのお嫁さんはそりゃあ素敵だろうが、

そういうのひっくるめて全部の幻みたいな幸せより、

昨日、いま、明日、亀梨のくれる陽だまりの笑顔のほうが大事だった。

高校生だから突っ走ってる、今なら修正きく、そんなことを色々な人に言われたが、

大疾走でゴールテープひき千切ったって、修正テープを補充しなくたって、

そっちのが幸せかもしれないじゃないか。

前日に日本史で習った最澄だか空海だかになった気分で、ひたすらに説いた。

亀梨はとても素直な信者だったので、説いて十分でおれに抱き着いてきた。

その背中を逃すまいと抱きしめて、

夕日で真っ赤な頬と、涙で真っ赤な目と、どうしたって愛しいのだった。

未来がどうなって、後悔するのかしないのか知らないが、

今亀梨を逃したら一生後悔することだけが明白だった。



二度目は、春先の話だ。

季節を二周、一緒に経験して、それでも可愛いのだから本物だと思っていた。

それなのに、やっぱり言い出したのは亀梨だ。


「嫌い、大嫌い!」


言われて死ぬほどのショックを受けた。

だってその五分前まで、いちゃいちゃしていたのだ。

おれの部屋の、布団の中で、抱き枕にしてやろうと足を絡めたところで、突然の大暴言だ。

まだ十分に肌寒い時期だったことを差し引いても、おれの足先は凍傷寸前まで冷えた。

なんで、と、息も絶え絶え問うと、「自分で考えて!」と怒られる。

おれは怒られたことが一度もなかった。

もちろん親やら先生やらからは、褒められる百倍は怒られながらやってきてるけど、

亀梨はいつだっておれのいいところばっかり見つけてくれて、

まだ種でもそこに水をたくさんやって育てて、芽を出させ、花が咲いたらまた褒めてくれる。

将来になんのビジョンも持てなかったおれが、体育教師を目指した、

それだって亀梨がおれの中のくすぶる思いに気づかせてくれたからだ。

それなのに。


「じんなんか、嫌い!」

「嫌い嫌い、嫌いでたまんない」


おれはあまりの混乱に、自分の部屋だったにも関わらず脱兎のごとくその場を逃げ出した。

情けない話だが、頭が真っ白で、それなりの寒さだのに上半身裸であることにすら気づかず、

通行人の白い目にさらされてようやく我に返った。

そのときもやっぱり夕暮れで、でも視界を染める赤はちっとも暖かくなんかなくて、どでかい太陽はまたしてもおれを見下した。

どうしようどうしようどうしよう、嫌われた嫌われた意味わかんないなんでなんでなんで、

もう生きていけない、そんなことを考えてぐるぐると、夕日と三日月が入れ替わりかけた寒空の下、家の近所を練り歩いた、

そうしてやっと、天使がサンダルをひっかけ、おれを追いかけてきた。


「じんっ、ごめんね!今日、今日、」


その手には、おれの上着と、カレンダー。

四月一日だった。

いやもうまったく、四月馬鹿とはまさにおれだった。

亀梨がぼろぼろに泣きながら、


「おれもう、くだらないおふざけしないから、おれをおいてどこかにいかないで」


と縋りつく、

本日二度目、頭を真っ白にしながらも、


「おふざけ、…て」


なんだそれ、その発言、昭和か、

それがもうツボで可愛くて、

もっととっちめてやろうとか、怒ったふりしようとか思ったが、結局二分で許してしまったおれだった。





二度目は危機とカウントしていいのかどうか、おれのような素人には判断のつかないところであるが、

とにかくそんなこんなを乗り越えて、

おれは亀梨とべたべたいちゃいちゃし続けて今に至る。

明日に控えた卒業式、真っ赤な夕暮れに、冷えた頬をますます赤くして、

じん、とおれを呼ぶ。


「明日、晴れそうでよかったね」

「雨だったとしても、よかったって、カメならいうんでしょ」

「んー、どうしてわかるのかなぁ」

「どうしたってわかるよ。テスト項目に亀梨ってのがあったら、おれ百点とれるもん」

「ふふ」

「てか、カメそのネクタイ、ずいぶんぼろくね?」

「え、とね、たっちゃんが譲ってほしいって言ってたから、最近のあげちゃったんだよ」

「じゃあその千切れてるボタンは」

「聖が、記念にってもってっちゃった」

「…じゃあその上履き、なんで今更新しいの」

「前のやつは、ピーが弟にあげたいからって…」

「あいつ妹しかいないかんね!てか上履きってどんだけディープなんだあの野郎」


一通り憤慨して、山下には引きまくって、けれどやっぱり亀梨の頬が赤くて可愛くて、

だから怒りもすぐに終結する。


この教室に来るのも、もう今日と明日と、それで終わりだ。

3年4組。

保育士ではなく、小学校の先生を目指すことにした亀梨と、

体育教師と、歌手とを同時並行で目指すことにしたおれと。

同じクラスになれて嬉しいと、千回は口にした。思えば運命か、三年間同じクラスだった。

まずは亀梨の名前に惹かれて、背中に惹かれて、腕の白さに、真面目を体現した髪に、

そしてお日さまの笑顔に惹かれ、惚れぬいた。


「じん、明日さ、」

「家、迎えに行く。何時でもいいよ」

「…泊まる?…このまんま、4組に」

「カメ?」

「もったいなくて。ここにいたいよ。もう明日で、おれたちは永遠に、高校生じゃなくなっちゃうなって」

「…いいよ。泊まるか!素敵じゃんか」

「…じんならそういってくれると思ってた」


窓辺にたたずむ亀梨が、泣きながら笑う。

それを抱っこして、おれの机の上に座らせる。

向い合せ、その足の間に座って気づいた、見上げる涙ずくの顔が、とても大人びている。

おいていかないで、といつだか亀梨が言っていた、まさにそんな気分だ。

ぶっちゃけた話、亀梨もおれも、同じ大学に通うのだ。

同じ学部、学科は違えど、どうせまた一緒に通って、一緒に季節を辿って、一緒に笑う日々だ。

それなのにどうしてこんなに切なくて悲しくて、亀梨はこんなにきれいなのか。

そのきれいな生き物が、おれの頭の上で、ぽつんと言う。


「あかにしくん」


久しぶりに聞く呼称だった。


「あかにしくんが好きで、最近ちょっともう、こわいよ。

 好きすぎて、こんなバカな提案しちゃうくらい好きで、どうしたらいいんだろう」


そのまま、お行儀よく椅子に座るおれへ、子どもみたいなキスをくれる。

そのかがめた背中を、やはりいつかのように掻き抱いて、いつかのように逃すまいと思う。

高校生活最後の夜、その帳が、

すっかり夕日を飲み込んだ。


「あかにしくん、じんくん、…じん、」

「好きだよ。」

「…ふふ、知ってるよー」

「いつも不安になるくせに。」

「うん、だから、そのたびに、こんなふうにしてくれる」


いいよ、とかもちろん、の返事の代わりに、子どもみたいなキスをお返しした。

勝手に大人めいた高校生は、ようやく安心したように、

袖で顔を拭い、そこだけブレザーを紺から黒に変えた。


「…ごめん。さ、帰ろっか!」

「泊まらないの、ガッコ」

「本気にしてなかったくせにー」

「カメが本気だったら、本気にしてたよん」


見透かされてるなぁ、とそれすらも嬉しそうにしながら亀梨は、かばんにようよう手を伸ばし、

使い古しのネクタイを翻す。


詰め込まれた思い出が、そこからはじけた気がした。



「ニコラフ」さまに寄稿させていただいていました

感謝!!