掻き抱いた緑色が、うごめく。何事か発する。
サンジは驚きのあまり、思わずその頭を取り落とし、がつんと硬質な衝突音が響く。
凝固した闇の地面は、ゾロの頭部を手痛く受け止めたようだ。
「ってえな、クソコック!
おれの頭ァなんべん落とす気だ、ちゃんと持っとけ」
のったりと、逞しい体躯が持ち上がる。
意識の混濁の中、正気を保つためか、噛みしめた唇を真っ赤に血に染めてそれでも、ゾロが笑う。
サンジは泣き濡れていた顔を拭うも隠すも忘れ、呆然と相手を視る。
女性至上主義の彼が、傍で呆気にとられるマリアの存在をも忘れていた。
周囲の、闇が震える。切り裂く稲妻の覚醒に恐れたように。
「てめえはいつもそれだな。
それを、おれが、おれたちが、喜ぶと思ってやがる。
言っとくがおれァ、ジコギセイとやらでてめえがおっ死んだら、一生許さねえぞ」
まだ震えの残る、武骨な指先が、サンジの背を強く捉えた、そのままありったけで引き寄せられる、
唇に衝撃。
くちづけられた。キスというやつだ。
というよりほとんど獣のように噛みつかれたので、サンジも自分のものか相手のものかわからぬ血の赤でそこを濡らす。
今、自分とゾロが交わしたものは、夫婦や恋人同士が愛をこめて行うあれだ。なぜ、おれに、おれたちが、なにが、どうして。
そこまでされてもサンジは固まったまま動けない。
もともと、機転はきいても容量自体は小さめの彼の脳みそは、あまりのことにキャパオーバー、運転を停止してしまったのだ。
そうしている間に、ゾロは確実に目覚め、サンジを置いてけぼりにしてマリアに剣先を突き付ける。雪走りだった。
彼の幼馴染も、真っ白に怒っているようだ。
その左腕には、サンジの頭がすっぽり抱えられている。まるで、いっとう大切なもののようにして。
「おい、女。てめえを一つ、見透かしてやる。
…てめえの親玉のところへ連れていけ。」
「………なんのこと」
マリアは無表情にゾロを睨めつける。
ゾロはそれを受け、血の滴る唇で、よほど悪人めいて笑う。
「てめえをそこに括りつけてる、てめえの男とやら、
…おれがぶった斬ってやる」
そして腕の中のサンジを覗きこんで笑いかけ、まだ呆けたままの唇、そこに伝う血を、加減を知らぬ親指で拭う。
これはいったいだれだ!
このわけのわからない空間が、ゾロをこうも現実離れした行動に走らせるのだろうか。
「…馬ぁ鹿じゃぁないの、馬ぁ鹿じゃないの!」
マリアは今までにないような大声で、ゾロを威嚇した。
サンジは驚いた。麗しい聖女は、ゾロの言葉にひどく動揺し、目の焦点も合わないようだった。
ぎしぎし軋む鉄の門扉、マリア曰く「地獄の窯の蓋」とやらを背負って、マリアはぶるぶる震える。
しかし皮肉にも、そんな彼女を目にしてようやく、海のコックの思考回路は少しだけまともになった。
「あぁの人、いいえ、“アレ”は、あぁれは、人間じゃぁないの。
…あれと知らず、私の親は莫大なお金と引き換えに、私を売ったのよぉ!
何ぁん度も逃げようと思った、でも、でぇもだめなのよぉ。
あぁなた一人で、斬るとかぁ、勝つとかぁ、そぉういう次元じゃなぁいの、
あれは、何ぁん世紀も前から生き続ける、
…悪魔なの!」
口角から唾を飛ばし、ひっくり返りそうに目をひん剥いてまくしたてるマリアは、いっそ彼女自身が悪魔めいて見える。
ワンピースの裾を、幼子のように両手で握りしめ、彼女がそこまで追い込まれている事実にサンジはやはり胸が痛んだ。
この状況が、さっぱり理解できないとしても、だ。
「いいから連れていけ。おれが決める。斬れるかどうか、殺せるかどうか、おれが試す。
おれ一人でやれねえってのなら、これがいる」
ゾロはこれ、とサンジを提示する。マリアは途端に、縋るようにサンジを視た。
サンジはやはりさっぱり分からないまま、常になく素直に頷いておいた。
どんな無体をされたとしても、レディはやはり等しく愛おしい。
ゾロに自己犠牲がどうの説かれたところでやはり、フェミニストコックにとって、かつての恋馴染みの救済は自身の死よりも重きがあった。
優しかった彼女に戻してあげたい、と芯から思うのが彼の本当だ。
サンジはおもむろに、一生だってここにいたい腕の中からまろび出て、歩み出る。
マリアの手を取る。
うそのように冷たい手だった。美しいが、昔のように夏の匂いは毛ほどもしない、高級な陶器のようだ。
それでもサンジはひるまず、そこに向かって語りかける。
「マリアちゃん、よくわからないけど、君がそうなっちゃったのには理由があるんだね。
おれたちでどうにかできるかもしれねェなら、それに賭けてみちゃァくれないか」
「おれらがそろって壊せねえもんなら、
そんときゃ、心臓といわず目といわず、
二人まとめて窯の底とやらへ連れていけ」
ゾロが笑う。人を惹く笑顔だと、サンジはいつも思う。
マリアは突き付けられたままのゾロの剣先を見て、ゾロの目を見て、それからまたサンジをたっぷり見て、そうして決心したようだった。
聖女の衣が風圧に翻る、
きしむ窯の蓋は、やはり音もなくぐるりと回転し、
別の真っ黒な扉が反対面より現れた。
「…私の夫は、ここに、いる」
マリアは怯え、唇の色を失くしていた。