扉がおもむろに開いた。ぎぃぎぃ軋む。

肩を並べるゾロは、静かに黒い手拭いを巻いて、三刀を構えた。

同じく臨戦態勢のサンジの前に、さても現れたは。


懐かしき師父、ゼフだった。


「…は、クソジジィ?」


出会い頭、悪魔の鼻先に蹴りこんでやろうと構えた右足が宙ぶらりんになった。

一方、隣にいるゾロはサンジが「ゼフに見えるもの」に向かって、「くいな?」と呟いていた。口に咥えた抜身の雪走りも少し動揺している。

そこで気づいた。

おそらく悪魔とやらは、相手の思い入れの深い人物に擬態する能力があるのだろう。

ゾロもすぐにそう思い至ったのだろうと分かる。

呆気にとられたようだった表情を即座に一変させ、雪走りを素早く鞘仕舞って鬼徹を構えなおしたからだ。


「趣味の悪ィ…!人の頭ン中のぞいてんじゃねェぞクソ悪魔!」

「…まったくだ」


サンジは思わず激昂して怒鳴る。

隣の男も、纏わせる殺気の色を、より赤くしていた。

眼前にいるゼフのみが、あの日の面影のまま笑っている。

悪趣味にもほどがある。


「ところでテメエ、そのクソジジィとやら、蹴り倒せるんだろうな?」

「てめえこそ、麗しき初恋のくいなちゃんを斬る覚悟があんのか」


案内人のマリアは、へたり込んだようにその場にうずくまり、固唾を飲んで事の成り行きを見守っている。

ゾロは動かない。サンジも動かずにいた。

サンジは正直、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

あの場に居合わせたばかりに、想い人をこのような事態に巻き込み、挙句思い出の幼馴染(見かけだけだが)と対峙する羽目にまで。

しかもどうやら、サンジの気持ちもばれてしまっているような気がする。

マリアの救済が至上命題であるため、あえて考えないようにしていたが、うわああああどうしよう、泣いちまった、ぎゅってしちまった、というかあいつキスとかするし抱きしめたりするしもうわけわからん、と実は心中大荒れ状態のコックだ。

そんなときに、育て親のゼフ(こちらも見かけだけだが)の出現、サンジの苦悶といったらなかった。


不意に、声が這う。

シューシューと息が漏れる音の合間、明らかに人間のそれではない、細い糸を紡いだような声。


「ほぉぅら、どうした。」


あまりにも不快な声音だったので、サンジはそれが悪魔のものだと理解した。


「動けぬか?
 
 お前たちの心の、幼気な幼気な、かわいいかわいい記憶をかたどったまで。

 そこが人間の、根源だからね。そこを痛めつけられると、人間は生きていかれないものだ。

 なんと哀れだろうね。

 マリア、このようなものどもを、ようもここまで連れてきたものだ。なんとも味気ない!」


ゼフが喋っている。威厳たっぷり思い出通りの笑顔、それに似合わぬ気味悪い声で。

業腹とはまさにこのことだ。

饒舌が過ぎる悪魔を、たっぷりと睥睨し、すぐにでも地獄のさらに底の底に送り返してやる、とサンジは笑う。

隣の鬼の形相の剣士も、口角だけを引き上げる。

さあ今にも、飛びかからんとしたそのとき、


「そうかしら。」


ぶるぶる震えながら、マリアが口を開いた。

どれほど相手が恐ろしいのか、俯いた顔はとても上げられそうにはなかったが、か細い声は驚くほどよく通った。


「…サンジちゃんは私が出会ぁった中で、いち番の美しいひとだわ。

 そぉうして、そちらのごろつきさんは、そぉんなサンジちゃんが愛した、たぁったひとりよ」


哀れでも味気なくもない、強くて優しい、天才コックさん、とマリアは続ける。


こんなに素晴らしいことは、ないわ。こんなに素晴らしいひとは、いないわ。

マリアは握りしめた色白の両手を、胸元で組む。震えながら、それでもしっかりと、悪魔を、意に染まぬ夫を、視た。

白いワンピースが聖衣だ。彼女がマリアだ。

サンジは知らず泣きそうだった。これが、過去に自分が愛した女性だ。誇らしいとさえ思った。

彼女のいうところの天才コックは、ついと滑るように彼女の前に歩み出て、ありがとうと伝えた。消え入るほどの柔らな声に、彼女は黙って首を振った。

先ほど、サンジを陥れようとした彼女と、同一人物とは思えない。澱のようだった瞳は、幾分も過去の明るさを取り戻していた。


「 ……、… 」


隣でゾロが何事か呟いた。

聞き取れず、サンジはそちらを振り仰いだが、ゾロは小さく笑うばかりだ。

そうしてまた、やはり小さく、さて行くぞと言う。

今度は明瞭に聞き取れて、サンジもああ、と返す。

こんなやり取りがとてもうれしい。その感情のまま、再びゾロの隣に並び立ち、サンジはトトン、とつま先を地面にすり合わせる。

雪走りを仕舞い込み、二刀流となったゾロはゾロで、鬼徹と和道一文字に指を一本ずつかけ直す。

マリアがごくりと息を飲む、


ト、と空気が震える。


駆けだしたのは同時だった。

俊敏性に勝るサンジが第一撃を放つ、最大値でゼフの姿形のそれに左足を叩き込む。

ゾロがその脇から、鬼徹を真一文字に滑らせる。

さらにサンジがゾロの肩を踏み台に跳び上がり、踵で粉砕、ゾロが返す刀で第二の斬撃を相手の首のあたりに。

その段にいくと、ゼフ、…つまり悪魔は少し驚いたように、霧散して立ち消えた。

それを気配で追おうとするサンジを、深追いするなとゾロが止めた。