いやだいやだいやだいやだ
あたしにあきらめろって言う
みんなみんな、ほかに好きな人をつくれって言う
あたしがこどもだから、そう思うんだよって
そのうち違う人を好きになるよ、
うんめいのひとを。
そう、笑って言う
いやだいやだいやだいやだ
そんなの無理だ
ちがう、そんなの嫌だ
だってあたしは
いちばんはじめから
あたしのパパが好きだった
コドモの事情
「おにいちゃん」
あたしは少しだけためらって、でもやっぱり声をかけることにした。
かちゃかちゃやっている携帯電話の、ちかちかするその画面からは目を離さずに、
おにいちゃんは不機嫌に「なに」と答えた。
「あいしてる、と、すき、ってどっちがいっぱい好き?」
「はぁ!?」
おにいちゃんは勢いよく携帯電話を落とした。
フローリングの床は携帯電話に優しくなさそうだった。
おにいちゃんはあたしより六つ年上で、その分なんでもよく知っている。
高校生になったから携帯電話も持ってるし、こないだ二人目の彼女もうちにつれてきた。
その彼女がどことなくかずやに似ていると思った。
でもそれを言ったらおにいちゃんは真っ赤になって怒ったから、もう言わないようにしている。
「あたしね、聞いちゃったの。じんがかずやにあいしてる、ってゆってるの」
「・・・あ、そ」
困ったみたいに笑って、おにいちゃんはゆっくり落とした携帯を拾った。
ぱちんとそれを折り畳んで、あたしの話を真剣に聞いてくれる雰囲気だ。
「じんね、あたしが好きってゆったら、おれも好きだよ、ってゆってくれるの。
いっぱい抱っこもしてくれるし、ほっぺにちゅうもしてくれるんだよ」
「だな」
「でも、でも、かずやにはあいしてる、ってゆうの。
あたしよりもっといっぱいぎゅーするし、ちゅうもお口になんだよ。
どうして?どう違うの?」
あたしはじんが好きだった。
じんがあたしのパパで、かずやのだんなさんで、かずやはあたしのママで、そんなこと知ってる。
友達も親戚のおじさんもお隣のおばさんもそれはおかしいって言う。
おにいちゃんやかずやや、・・・じんまで、今だけだよ、それは、って笑う。
でもすき。
もう覚えていないような小さい頃から、あたしはパパが好きだった。
「あたしにはどうして、あいしてるじゃないの?」
おにいちゃんは座っていた勉強用のいすから立ち上がって、あたしの頭を撫でた。
おにいちゃんの172センチの身長は、バスケットボール部で伸びたんだと言っていた。
見下ろされると、じんとおんなじくらいに見えて、あたしはどうしようもなく心臓のらへんが痛くなる。
「なぁ、おれ、おまえくらいのときさ。
本気でかずやを嫁さんにしようとか思ってたんだよ」
「ええっおにいちゃんも」
「でもさ。みんなそんなもんなんだよ。男は母親、女の子は父親に惚れるって決まってんの」
「・・・かずやも男じゃん」
「いやまあそーだけどさ。あーつまり、一過性のもんだから、それ。てゆうことを言いたいの」
あたしは、今おにいちゃんがしたみたいな、学校の先生みたいな話しかたが好きじゃない。
あれは、あたしが子どもだって知ってる、話しかただ。
女の子がどれだけ小さくても女なんだってことこれっぽっちも知らない、男の子の目の高さで話す。
実はじんもそうだったりする。
あたしは。そんなの聞きたくなかった。
じんがパパなのは知ってる。あたしが変なのも知ってる。まわりが取り合ってくれないのも知ってる。もうとっくにわかってる。
あたしが聞きたいのはそうじゃなくて。
「じゃぁ、あたしとかずやがシンデレラ城のてっぺんから落ちそうなら、じんはどっちを助けるとおもう!!?」
あいしてるとすき、かずやとあたし、どっちがいっぱいなのか。
そういうことだ。
あたしは公園にいた。
マンション所有の小さい公園なんかじゃなくて、ずっと遠くの大きな公園にいた。
たくさん走ってとても遠くにきたから、知らない人ばかりがいるのだと思っていたら、ついさっき同じ学校の友達に会った。
自分が一生懸命になっているだけな気がして、泣きたくなった。
おにいちゃんはあの後、あたしが勉強部屋から飛び出して、玄関から飛び出して、マンションから飛び出してもなにも言わなかった。
あたしはああいうときに泣くのはずるいと知っていたから、泣いていなかったので、だからあたしが全然大丈夫だと思ったのかもしれなかった。
「野村さん!もう帰るの?」
「赤西さんも早く帰ったほうがいいよ、おかあさん心配するよ」
一緒に遊んでいた友達は、迎えにきていた買い物かごを抱えた女の人と少し話して、そのまま帰ることにしたようだ。
帰りぎわばいばいと手を振られたけれど、夕日の光が邪魔をしてその顔がよく見えなかった。
あれは野村さんのおかあさんだろう。
そうだ、“そうじゃない”からだ。
エプロンつけて、スーパーの帰りに子どもを迎えに来て、なにより、優しい女の人だ。
あたしのママは違う。全然ちっとも違うから、ママがママらしくないから、
あたしはちゃんとパパをパパと思えないんだ。
かずやのせいだ。
そんなことを考えているじぶんが大嫌いだった。
「・・・ただいま」
夕焼けよりももう少し暗くなった。
あたしはとぼとぼと歩いて、自分でもびっくりするくらいあっという間にマンションについてしまった。
本当はうちになんか帰りたくなかったけど、でもうちが好きだからしかたなかった。
「おかえり」
チャイムを鳴らすと、かずやはいつもどおり玄関を開けてくれた。
いつもどおり頭も撫でてくれた。
でも、じんの靴がある日はいつもなら、「じんにも言ってきな」って言うのに、今日はそれがなかった。
おにいちゃんがあたしのこと話してしまったんだと気付く。
もしかしたらじんにも。
もちろん二人はそれを昔から知ってるけど、
おにいちゃんに話したあたしのほんとのほんとを、知られてしまったというのは、
なんだか恥ずかしくて死んでしまいたくなる。
「夕飯できてっから先座ってて。ちゃんと手ぇ洗ってからね」
あたしにそう言って、じんとおにいちゃんにも夕飯だと叫ぶかずやは、
普段のまま、着心地よさそうな細身のシャツにところどころ破れてるジーンズで、でもその首には銀色のチェーン。
普通なら一番心臓に近い指にはめるはずの結婚指輪を、首からぶらさげてる。
それすら恥ずかしいからといって特別な日にしかしないのに、今日はしてる。
今日はなんの特別な日なんだろう。
ぼうっと考えながら手を洗っていると、泡まみれの手に、大きな手が重なった。
じんだ!
「おかえりー。今日もいっぱい遊んだかー!?」
あたしを後ろから抱っこするみたいにして、じんはあたしの手ごとごしごし手を洗う。
振り向いて一生懸命ただいまを言った。
じんはいつも、あたしの泡を「借りて」、自分の手を洗っている。
ちゃんと自分で石鹸使え!とまた、かずやが怒ってる。
ああよかった、なんだ、ちゃんと、いつもどおりだ。
「ってかずー、おにいちゃんまだ来てねえの」
「おーいこらー、晩メシいらねーのー」
かずやが思い出したみたいに叫ぶと、うーいとか返事をして、おにいちゃんはのそのそ部屋から出てきた。
携帯電話を触っているその目が優しいのは、彼女とメールをしているからだろう。
「おまえケータイ代大丈夫なの。麦茶とって」
「あー、ちゃんと考えてるよー。麦茶ないよ」
「んなことばっか言ってー先月かずに小遣い前借りしてたろこら。サラダの皿の後ろにあるじゃん麦茶」
「今月はバイトもしてるしさー。かずや、これ」
「前借りはもー認めねーかんなー。そのまま四人分コップに注いで」
おにいちゃんは片手に麦茶のパック、もう片手に携帯をいじったまま。
あたしより先に手を洗い終えたじんがそれを注意した。
「夕飯どきくらい落ち着け」
おにいちゃんはぶつぶつ言いながら、でも結局携帯電話をぱちんと閉じた。
なんだかんだでじんのほうがエラい。そんな感じなのだ。
あたしは洗い終えた手をふかふかのタオルで包んで、そのままテーブルについた。
他の三人よりも背が高いイスに座って、他の三人よりも短くて可愛い柄の箸をもった。
→